「ここまできたら、もはや将軍の上洛は既定路線として覆せないだろう」
そう見るやいなや大久保は、さっと切り替えて新しいアイデアを披露している。それは、将軍が上洛する前に、春嶽や容堂のほか、将軍後見職の一橋(徳川)慶喜や久光も交えて、京に集まるというものだ。
そして朝廷の穏健派とあらかじめ協議したうえで、国の方針を決めておけば、将軍が上洛しても、極端な攘夷を押し付けられることもないのではないか。大久保はそんなふうに考えたのである。将軍の上洛を受け入れながらも、それを延期するという現実的な案は、春嶽や容堂からも賛同を得られれた。その後、再び京にいくも、吹き荒れる「天誅」という名の暴力の嵐に、大久保はとりあえず帰路につくことになった。
京での工作はうまくいなかったものの、目覚ましい活躍だといってよいだろう。この間、大久保は幾多の壁にぶつかりながらも、行動を止めていない。次善の策、だめなら、さらに次善の策……と現実的な落としどころを懸命に探している。当初は久光の随伴者としか見られていなかった大久保が、今やその存在感を中央で大いに発揮していた。
往々にして人が世に出るときというのは、ただ目の前のことに没頭していたら、気づけばそうなっていたということが多い。このときの大久保もまさにそうで、本人からすれば、ただ必死に走り回っただけにすぎなかっただろう。
充実感でいっぱいの大久保を襲った暴風雨
激動の京を離れて、大阪から故郷の鹿児島へと帰る大久保。まだ懸念点だらけではあるものの、船上の大久保は、充実感と疲労感でいっぱいだったに違いない。
しかし、思わぬ事態が起こる。船が暴風雨に襲われて、転覆しそうになったのだ。当時のことを大久保は後年、こんなふうに語っている。
「私はこのとき、魚の餌になってもおかしくはなかった。それにもかかわらず、今日があるのはまさに天の助けである」
大久保は、かつて盟友の西郷隆盛が自殺未遂をはかって助かったときに、自分がかけた言葉を思い返していたことだろう。
「月照があの世に逝き、あなた一人が生き残ったのは、決して偶然ではありません。天が、国家のために力を尽くさせようとしているのです」
自分は天に生かされている――。そう信じた人間ほど強い。帰藩した大久保は、久光によって御側役に登用される。藩の重役ポストへの異例ともいえる大抜擢に、藩内がざわめいたが、久光は意に介さなかった。この男にはそれだけの価値がある。久光はそう確信していた。
34歳、大久保利通。揺れ動く幕末の政情を左右するキーマンの1人として、いよいよその頭角を現し始めることとなった。
(第11回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(?中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
鹿児島県歴史資料センター黎明館 編『鹿児島県史料 玉里島津家史料』(鹿児島県)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵"であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
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