私たちが日々「罪悪感」にさいなまれてしまう理由 「社会のルール」「マイルール」の罠
佐渡島:それに相手への謝罪より、自分が罪の意識から解放されたくて「すみません」と言っている場合もあるからね。だったら罪の意識を抱き続けるほうが、状況は改善するかもしれない。
僕は何か問題があると、まずは環境のせいだと考える。それでよく「屁理屈を言っている」と思われるんだけど(笑)。でも、問題が起きたときに「自分に原因がある」と捉えるのって、実は簡単なことじゃないかな。確かに、結局は自分しか変えられないけれど、「すみません、頑張ります」という答えで終わらせてしまうのは、かぎりなく思考停止に近い気がする。
だって、頑張ったのにできなかったわけじゃん。だとしたら、「外部の何を変えたらできるのだろう?」と考えてみる。編集者からのアドバイスを増やすのか、「仕事が多かった」のなら、ほかの仕事を組み直すとか。解決策がいっぱい出てくる。
石川:「頑張ります」だと、根性論にしかならないよね。
佐渡島:そう。だから羽賀君も、今度は謝るよりも逆ギレしてみなよ(笑)。「編集者なら、締め切りが過ぎていることを言うんじゃなくて、僕がすぐに描けちゃうようなアドバイスできないですかね〜」とかさ。
石川:「いい編集者とは何か、1回ちゃんと話しませんか?」みたいなね(笑)。
「締め切りなんて遅れて当然」で、脱・罪悪感!?
佐渡島:ルールと罪との関係性についてもう少し深く考えると、コミュニティーごとにもルールがあると思う。コミュニティーの中で罪の意識が規定されるから、変化するのが難しくなるだろうなあ。
僕自身は、講談社にいながら大きな変化は起こりえなかった。
石川:コルクを立ち上げたときは、ルールとかどうしたの?
佐渡島:会社の中にルールがなくて、「みんな好きにやればいいじゃん」という感じ。そもそも僕が自由になりたい思いが強かったから。既存のルールを壊すというよりも、そこから出たかった。
新しいルールを作るのと、ルールを入れ替えるのってちょっと違うよね。
石川:新たなルールを増やして、より質のいいものにしていくのが「アップデート」で、既存のルールを壊していくのが「アップグレード」じゃない?
俳諧でも、俳句の時代は季語を必要としていたけれど、庶民が楽しむようになって、「季語なんてなくてもよくない?」と無季俳句が生まれた。これはアップグレードだね。
佐渡島:なるほど。起業するときって初期はアップグレードだけど、ある程度育ってくるとルールを決めないとだから、アップデートが行われるんだな。