私たちが日々「罪悪感」にさいなまれてしまう理由 「社会のルール」「マイルール」の罠
石川:ときどき、信号待ちでまだ青になっていないのに、ジリジリと前に出る人いるよね。「よく見ると少しずつ動いているぞ!?」みたいな(笑)。
佐渡島:いるね(笑)。まあ、法律に関しては別次元の話だとしても、AKBグループだって、「恋愛禁止」と言っているせいで、ファンにとっても当事者にとっても恋愛が悪いことみたいになっているし。だから恋愛が発覚すると、「ファンを裏切った」なんて責められるわけでしょ。もしコルクで「給料の一割はコルクが企画した商品の購入に使うこと」なんてルールを作ったら、それを破るだけで悪いような気になるんだよ、きっと。
羽賀:それで思い出したのが、マンガの原稿ルールですね。スクリーントーンを貼る際、「このくらいまでなら、はみ出してもOK」という自分なりの線引きがあるんですけど、小山宙哉さんの『宇宙兄弟』でアシスタントをしているときに、同じ感覚でやってしまうと注意されます。
すると、すごく申し訳ない気持ちになるんですよ。みんながルールを守りながら締め切りに向かって頑張っているのに、自分がそれを破ってしまっているので……。でも自分の作品の原稿では申し訳なさは感じない(笑)。同じ行為なのに、なんか面白いなって。
償いを要求する外部の人たちにも「マイルール」
石川:宗教は「これをするな」という制約が多いね。たとえばイスラム教の世界では、酒を飲むことがルール違反になる。
佐渡島:神との約束を破ることは「罪」だからね。
僕は、いわゆる「社会のルール」を破っても罪とは思わないけどなあ。ルール違反をして「悪いな」という意識は感じる必要があるけれど、それを罪とする必要があるのかは疑問。
羽賀:SNSでも、外部の人たちが当事者に向かって「謝罪しろ」なんて償いを押し付けていることがあるけれど、それで謝ったとして、本当に「自分は罪を償えた」と思えるんですかね?受動的な償いに意味があるのか……。
石川:ルールには、法律のように社会が合意しているルールとマイルールがあって、償いを要求する人たちは、「マイルール」がいっぱいできているんじゃないかな。そして自分が、どんどん神になっていく。
そういえば高校生のころ、駅のホームで突然知らない男性に「コラーッ!土足で駅を歩くなー!」って怒鳴られたことがあったな……。「ええっ!?」と思ってその人の足元を見たら、まさかの上履きだった。思わず「すみません!」と謝ったよね(笑)。彼のマイルールではあるけれど、まあ言っていることは正しいなと。