私たちが日々「罪悪感」にさいなまれてしまう理由 「社会のルール」「マイルール」の罠

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佐渡島:ルールを破るという行為に対して「○○罪」といった言葉が使われているから、罪を感じないといけないことになっているんだよ。罪の感情と結びつく名詞を当てていることで、コントロールされている感じがする。

これって、社会を管理する側にとっては超ラクな概念の植え付けじゃない? 人をコントロールするのに、罪の意識を使うのは重要なんだな。ルールと結びつけて「罪」と呼ぶのはずるいと思うけれど、罪の意識には、すべてルールが関係しているのかもしれないね。

石川:確かに。ルールと罪には関係性があって、「自分にとってのルールとは何か」を考えると、罪の本質も見えやすくなるのかもしれないな。

ただ謝るより、環境のせいにするほうが解決できる

石川:マイルールとは違うニュアンスとして、自分の中で「こうするんだ」と決めた約束を破ることに対する「罪悪感」もあるよね。

羽賀:実は僕、「自分でちゃんと健康管理をしよう」と決めてフィットビット(スマートウォッチ)を買ったんですけど、最近、寝るときに気になって外してしまうんです。早くも自分との約束を守れていない。

子どものころは「これをやろう」と決めたことができないと、罪の意識を感じていたけれど、大人になると、それがだんだん鈍くなってきているなと思っています。

佐渡島:罪悪感にかぎらず、同じ感情を頻繁に繰り返していると麻痺してくると思うよ。

僕が、「羽賀君がマンガを描けないのは、僕の感謝が足りないからだ。これからはもっと感謝していこう」と考えて、「羽賀君、今日もマンガのこと考えてくれてありがとう!」とか毎日言ってきたらどう?(笑)そのうち、「どうせ仕事で言っているんだろうな」と思われそう。

羽賀:うわあ、それはイヤだなあ(笑)。僕も、締め切り守れなくて毎回「すみません」と言っていると、「コイツ、本当に申し訳ないと感じていないな」と思われちゃうのかな。なるべく謝らないほうがいいんですかね……?

佐渡島:たまに「すみません」って言われると、「あ、今回の締め切りは重要だと捉えていたんだ」ってなるかも。

石川:戦略的すみわけだ(笑)。

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