「無意味な仕事」を続けた男が辿った最悪の末路 どうでもいい仕事は心をむしばんでしまう
とはいえ、やはりそれはふつう「おいしい」とされる仕事なわけです。じぶんでもそれはよくわかっている。でもなにかそれになじむことができない、というか、とても居心地が悪い。
そこでかれらは葛藤します。友だちからも家族からも、そんな悩みは「ぜいたくだ」といわれる。それでまた悩む。人が悩まないことをうじうじ考えてるじぶんはどこかおかしいんじゃないか、要するに「甘えてる」んじゃないだろうか。
階級的要因が影響している
日本でこんな立場におかれたとしましょう。たぶんだれに相談しても、おかしいんじゃないか、ですむのならいいけど、説教をくらいそうでしょう。これはイギリスなどでもそうなんですね。エリックの父親もそうでした。そんな高給取りの仕事を辞めるなんて、「なんてバカ野郎なんだ」と、くさします。
ここがまたひとつのポイントです。グレーバーは、エリックの証言を分析しながら、階級的要因がそこに影響していることを指摘しています。
先ほども述べたように、エリックは工場労働者の子息であり、典型的な労働者階級出身の青年でした。かれは家族のなかに大学出がかれしかいないという環境のなかで、高等教育の掲げるお題目の理念を信じていたし、仕事についての考えも旧来の労働者階級ならふつうにもっているような感覚をもっていました。
つまり、その世界は、「大多数が、事物の製造や、保守や、修理に誇りをもっている、あるいはともかく、そのようなことに対して人は誇りをもつべきだと考えている、そのような世界」です。先ほどあげた、エリックが仕事を辞めたときの父親の反応ですが、そんないい仕事を辞めるなんておまえはなんてバカ野郎なんだ、とくさしたのにはつづきがあります。「で、その仕事は、だれのどんな役に立ってたんだ?」と、父親はたずねるのですね。まさに仕事は、なにかの役に立つ、なんらかの社会的価値をもっているというのが前提なのです。
そのような世界で育ったかれが、ブルシットの世界と遭遇して感じる混乱は、そうでない場合と比較するとより大きなものになることはわかるでしょう。
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