「教育虐待の予兆」親が言いがちな3つのフレーズ 中学受験で見える「親自身の人間的未熟さ」
メディアの取材などで「どういう親がやりがちですか?」という質問も、よく受けます。これに対して僕は、誰もがやってしまいかねないことだという実感を持っています。「自分もやってしまうかもしれない」という警戒心はつねにもっておきたいものです。
今は、親が学校のブランドや流行のスキルなどに対して過度な期待を持ちすぎている、とも感じます。学校でできることや流行のスキルは、部分的には大事でしょうが、人間の価値にくらべたら本当にごく小さいものだということを私たちは忘れてしまいがちです。
学歴に対して過大な評価をしすぎてしまう、親自身が自分の人生を受け入れられていない場合に、子どものありのままを受けとめる余裕がないケースもあると思います。
気をつけたい、要注意の“3つ”のフレーズ
親なら誰もが言いがちな、教育虐待の予兆とも言える要注意のフレーズがあります。
まず「あなたのため」という言葉です。その前提には「どうせあなたはわかっていないのだから、私(親)が決める」という考え方があります。この、“わかっていない”が前提になってしまうと、本人の意志に反することも「あなたのため」と言えてしまう危険があるのです。
「よい教育を与える」という表現も非常に危険です。何か、よい教育、悪い教育のようなものがあり、どこかに理想の学校がある……というふうに思っている方が多いようです。でも、それは錯覚だと思うんです。そういう方に「よい教育ってどういうことをイメージしていますか?」と聞くと、お金が必要で、ある程度の学力がなければ受けられないような、手が届きにくい学校こそがよい教育をしている、という漠然とした思い込みがあるようです。
でも、大抵の学校はよい学校です。また、どんなによいと言われる学校でも悪い部分もあり、単純によい悪いで区別できるものではないと思います。
もう1つ、これも言いがちなことだと思いますが、よい教育を与えることで「(子どもの将来の)選択肢を増やしたい」というフレーズです。例えば、普通にいったらこのレベルの学校に入れそう、でも、もう少し頑張ってよい学校にいけたら選択肢が増えるという理屈で勉強をさせます。
頑張ってより偏差値の高い学校に行った子は、その後どうなると思いますか? 頑張って増えた選択肢からしか自分の人生を選べなくなることがあります。つまり、選択肢が増えたように見えて、実は減ってしまったということです。私はこれを「受験エリートの落とし穴」と呼んでいます。
例えば医学部に行っておけば、医者になることもできるし、そのほかの職業につくこともできるという意味では選択肢は増えています。でも医学部に行ったら、医師になるという道以外をとるのは勇気がいる決断になるでしょう。それは、実は選択肢を狭めているという逆説に気づいてほしい。
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