「教育虐待の予兆」親が言いがちな3つのフレーズ 中学受験で見える「親自身の人間的未熟さ」

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もし本当に選択肢を増やしたいと思うのであれば、別に中学受験に頼ることはありません。この世の中に生きるすべての方の人生が、尊くかけがえのないものであると、親が本気で伝えていけば、それこそ無限の選択肢が手に入ります。どうしてもこの学校に行かなければならないという強迫観念からも解放されるはずです。

この3つのフレーズは直接的に教育虐待につながるわけではないですが、頭に浮かんだときには、少し立ち止まってみることが大切ではないでしょうか。

親ができることは、ごくわずか

教育虐待をしてしまう親の傾向として、子どもの成長ではなく、成し遂げた結果ばかりを見る癖も挙げられます。

例えば、偏差値ばかり見てしまう。偏差値というのは相対的なものなので、その子が一生懸命勉強したとしても、必ずしも上がりません。そして、上がらないと前に進んでいないんじゃないかと焦ります。でも、勉強していれば、必ず子どもは成長しているはずです。相対的な結果ばかりにとらわれず、目の前の子どもの成長を見れば、前に進んでいることはわかるはずです。

子育てや教育には、何か正しいやり方があるんじゃないか?と思い込んでしまうのも危険です。

子育てや教育には正解などありません。なのに、このやり方が正解なんだ、いちばんなんだと思い込んでしまうと、そのやり方に無理やりでも子どもを当てはめようとしてしまうので、教育虐待の可能性が高まります。
子育てしていると、たびたび、何が正解なのかわからなくなります。わからなくて当然ですが、それでも正解を知りたいと思うときは、子どもの目の輝きをみましょう。

抽象的な青臭いことを言っているように聞こえるかもしれませんが、子どもが喜びや感動に「うわー!」と心を動かされたときの、輝いた目。それが、その子の本当の目です。子どもが進むべき道に向かっているときは、おのずとあのキラキラした目になるんです。その方向に、その子らしい進むべき道があるはずです。

子どもの出来は「親次第」という世間的な風潮も強いですね。そういう社会の中では、親も自分1人で、この子の人生に責任を負わなければ、というふうに追い込まれてしまいます。

でも僕が、多くの教育現場を取材して感じることは、真逆。親が子どもにできることは、本当にごくわずかだということです。取材を重ねるたびに、「結局、親は無力だ」という結論に近づいています。

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