「たぶん(那津さんを傷つけた鍵と)いっしょの鍵だと思います。最悪の鍵、私にとって。それでもう、家の外に出られなくなっちゃって。一歩出たら、またいつお母さんが待っているかわからないから。1カ月くらいまったく学校に行ってなかったんですけれど」
気持ちをラクにしてくれた、保健室の先生の提案
父親に連れられて仕方なく再び登校したのは、2学期が始まって、しばらく経った頃でした。養護の先生が「保健室にいて大丈夫」と言ってくれたので、しばらくは保健室登校をすることに。慣れてくると、教室にいたときと同様、チャイムが鳴るとひとりで勉強をするようになりました。この頃、いろんな教科担任の先生が保健室に顔を出し、勉強する箇所の指示を出してくれたということです。
「担任の先生も、『戻れたらうれしいけど、いま頑張りすぎるとよくないから、頑張らないことを頑張って』というふうに言ってくれて。すごくありがたいなと思いました」
この頃、忘れられない出来事がありました。当時、那津さんは「レールから落っこちちゃって、どうしたらいいの」という気持ちから、保健室にいながらも「鬼の形相で」勉強を続けていたのですが、そんな彼女の様子に何か感じたのでしょう。養護の先生が、ふいに散歩に誘ってくれたのです。
「ちょっと勉強をやめや、散歩に行こう、って言ってくれて。教頭先生とかにも確認をとって、みんなが勉強している時間に、校門を出て学校の周りをくるっと散歩して帰ってくる、っていうことがあったんです。私には、それがもう、すごくうれしかった。
『この時間は学校のなかにいて勉強していないといけない時間でしょ』と思っていたのに、先生が『それ以外のことをしていいよ』と言ってくれたおかげで、すごく気持ちが楽になって。それがあったから『私、教室に戻れるかも』と思った。レールをはずれちゃっても、別にこっちに乗り換えてもいいし、もう1回戻ってきてもいいんだなって」
この散歩で、那津さんは「道は決してひとつではない」と気づけたのかもしれません。さらに、同じクラスの部活の友達がよく保健室に遊びに来てくれたこともあり、ようやく教室に戻ることができたのでした。
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