「母親が精神疾患(統合失調症)だった」という人に、これまで何度か取材してきました。状況や体験は人によって違うのですが、衝撃を受けるのは毎回です。現在は保健室の先生をしている那津さん(仮名、20代)。彼女の話も、言葉を失わせるところがありました。
中3のとき、心中を求める母親に腕を刺され、一時期は高校に通えなくなったものの、先生たちの支えを受け国立大学に進学。いまは自らが先生となり子どもたちに目を配っているという那津さんに、これまでのことを語ってもらいました。
人に信じてもらえない「ナイフが飛んでくる日常」
小学生の頃にはもう「お母さん変だな」と、那津さんは感じていました。たとえば、「どんなにいい子で過ごしても、毎日1回はたたかれる」こと。妄想と現実の区別がついておらず、「お隣の家」に自分たちの話を聞かれるのを異様に気にしていること。
母親は那津さんに「音を立てるな」と言うのですが、音を立てて網戸を閉めることを「ストレス解消」にしていたようで、「いつもビシャン、ビシャン、1時間でも2時間でもやっていた」ということです。
「あとは、お向かいさんに対する敵意がすごく強かったみたいで。1回、うちの車を玄関の真ん前にビタ停めして、お向かいさんの車が一切出てこられないようにしていたこともあります」
小4の頃には近所の人からの苦情も増え、父親は母親を無理やり病院に連れていきました。薬を飲むようになり、母親の症状は落ち着いたものの、今度は副作用がつらかったようです。「気持ちが悪い、頭が痛い」と訴え、「おかしなことは言わないんだけど、機嫌が悪いお母さん」になっていったのでした。
「それと同時期ぐらいに、たたいたり、学校から帰ってきた私にめがけてフォークが飛んできたり。いちばんひどかったときは、ぺティナイフ(小さな包丁)をパンッて投げられて、本当にここ(顔の横)にスッて刺さって。それがたぶん、小学5年生ぐらいだと思います」
聞くだけで血の気が引くような話ですが、那津さんにとってそれは日常の風景の1つだったようです。
「私はそこまで変なことだと思っていなかったから、先生にペラペラしゃべっちゃったんですけれど、信じてくれなくて。『はいはい、また言っているよ、あの子』みたいな感じで、『あ、そうだったんだね、大変だったね』ぐらいの反応。
私にとっては『事実を話して、その反応』だから、逆に『あ、そこまで気にしなくていいんだ』と思っちゃって。『虫の居所が悪かったら、親ってそういうもんだよね』みたいな感覚がついたのは、それかなと思います」
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