那津さんには弟もいましたが、母親の矛先はいつも那津さんでした。姉が母親に対し「おかしい」と指摘しては激怒される様子を見ていたため、弟は矛先をかわすことがうまかったようです。
両親の間では、激しいけんかが繰り返されていました。いつも殴り合いが始まるのですが、やはり父親のほうが断然力は強いため、「母親はトイレに逃げ込んで鍵をかけ、父親がドアをぶち破る」という展開が定番でした。父親は「おまえなんか殺してやる」などと言いながら、母親を追いかけまわしていたといいます。
当時父親は、母親だけ残し、遠方にある自分の実家に引っ越そう、とよく言っていたのですが、那津さんはどうしても賛成することができませんでした。
「どっちもけんかが終わると私のところにやってきて、お父さんはお父さんで『おまえのことを守りたくてやってるだけだ』と言うし、お母さんはお母さんで『私のことを最後に理解してくれるのは、あなたしかいないんだよ』みたいなことを言う。
だから正直あそこで『お母さんとは一緒に暮らさない』という決断をしていれば、たぶんいろんなことがラクになったかなと思うんですけれど。でもお母さんからもそう言われちゃうと、出ていくとは言えなくて。だから、お父さんが泣いて『◯◯(実家の地名)に行こう』と言っても、『行けない』って返事をしていた覚えがあります」
中学のとき一度だけ、父と弟と3人で父親の実家に身を寄せたものの、結局1カ月で帰ってくることになりました。転校はせず、父親の実家で自習を続けていたのですが、戻ってきてテストを受けたところ成績が急降下し、「このままでは人生がダメになってしまう」と思い詰め、「絶対に戻る」と父親に伝えたのです。
「あとから考えれば、転校してそこの学校で勉強していれば全然追いつけたのに、その選択肢が浮かばなかった。『戻らねば』っていうふうに思っていました」
靴も履かずに学校に逃げて助けを求めた
それは、中学3年の夏休みのことでした。当時、那津さんは最後の大会に向けて、毎日部活に励んでいたのですが、母親は彼女が部活に行くことをとても嫌がっていました。
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