この倉庫を一目見ただけで、いつでも現場に出て行ける、いうなれば“レディ・ゴー”のィの字の縦棒を書き終え、ゴの字に筆を運ぶ直前の状態であることがわかる。倉庫の外の道路も、トレーラーの走る部分はロードヒーティング仕様で、雪の季節も除雪を待たずに現場へ駆けつけられるようになっている。
その“現場”は、この苫小牧東部国家石油備蓄基地と隣接する北海道石油共同備蓄に限らない。北海道地区広域共同防災組織に加盟する、室蘭や知内にある民間の製油所や発電所も対象だ。倉庫から300キロ近く離れた場所でも、10時間以内に消火しなくてはならない。
雪の中で訓練をしている写真を見せてもらって実感した。備えるとは、すぐに使える状態を保ち続けるということなのだ。
新品の泡放水砲システムは無事故の証し
そもそも、原油の国家備蓄も文字通り備えである。
資源のない日本での原油の備蓄は、1972年から始まった。オイルショックの前年である1972年から民間への義務づけが始まり、その後、1978年には国による備蓄が始まった。当初はタンカーで備蓄をしていたが、基地の整備が進むにつれて、固定式のタンクへの備蓄に移行した。その結果、日本には10カ所のタンクがあり、苫小牧のような地上タンクのほか、地中タンク、洋上タンク、地下の岩盤を利用したタンクなどがある。
現在、それらのタンクには、原油と石油製品とを合わせて197日分が蓄えられている。そのうち7割が国家備蓄であり、残りが民間備蓄である。
この備蓄の目的は、供給不足が発生しても、日本経済や国民の生活に大きな混乱を招かないことだが、これまでのところ、国家備蓄の原油が放出されたことはない。想定されている、大きな混乱に結びつくような緊急事態はまだ発生していないからだ。苫小牧の備蓄基地の原油も、多少の入れ替えはあったものの、基本的には一度運び込まれたものがずっと蓄えられている格好だ。
今後も国家備蓄の原油は放出されず、大容量泡放水砲システムにも訓練以外の出番がないかもしれない。実は、大容量泡放水砲システムがピカピカなのを見たときには「これを使わないのはもったいないな」と思ったのだが、しかし、新品同様であるのは無事故であることの証なので、喜ばしいことなのだ。その裏側には、備えあれば憂いなしを徹底する人たちがいることを忘れまいと思う。
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