成毛眞の「キャリアデザイン論」 ニッポンのジレンマ 古市憲寿×成毛眞 対談(2)
不本意だったマイクロソフト入社
古市:働きだした当初は、今みたいになるということは想像していなかったんですね。
成毛:まったくないですね。3年目に大阪営業所に転勤になって、そこで、大阪の水が合わなくて辞めたんですよ。辞めた後は、アスキー出版に編集者として入社しました。ところが、すぐに、マイクロソフトという会社に出向してくれ、と言われたんですよ(笑)。当時(1980年)は、マイクロソフトが伸びる会社だとかいっさい想像もできなかったので、非常に驚きましたね。
古市:そっか、じゃあ当然、インターネットも出てくる前ですよね。
成毛:まだまだまだ、IBMがパソコンを作る前です。インターネットの前のウィンドウズの前のMS-DOSが作られる前です。ですからまだベーシックという、「言語ソフト」だけで値が動いていた時代です。
古市:それはIT業界がどうなるかもわからない中で、ある意味、不本意なかたちで、マイクロソフトで働くことになったわけですよね。
成毛:かなり不本意でしたよね。正直言うと。何せ1週間後にアメリカに出張とか言われるわけですよね。アメリカに行くじゃないですか。当時の私は飛行機の乗り方をちゃんと知らなかったほどです(笑)。気持ちの面でも何の用意もできていませんでした。