――話はそれますが、現在タクシー業界では供給過多の現状があるという声が多い。もとをたどれば小泉政権時の規制緩和のツケが回ってきているという見方もできます。
現状、需要に対しての供給は間違いなく多いと思います。そのための許可制でこれ以上台数が増えることもないし、認めるつもりもない。規制緩和については、マイナスとプラスになった面があると捉えている。
プラス面については、事業者が争うことで接客や社員教育、安全性などで競争原理が生まれたことです。そういった視点が希薄だったタクシー業界において、サービス面の向上につながった面がある。
マイナス面は供給過多が乗務員の方の売り上げ減、ひいては収入減に直結することです。規制緩和当時、新たに市場拡大の要素があれば話は別でしたが、そうではなかった。結果的に今のパイを単純に分け合う形となった。適正な車両数という概念は必要で、少なくとも今は増やすという選択肢はない。
千葉県の協会の仕事もして愛着が生まれた
――ご自身も千葉県内で、「渡辺交通」代表として現場を経験していますね。
32歳ごろから家業を継いで、10年くらいかな。当時は無線がメインで、社員教育をしたり、無線配車を自分で受けて現場に飛ばしたり、頭の中で地図を描き、どうしたら効率がいいかをつねに考えていました。
千葉県のタクシー協会の青年部にも籍を置き、登録者のインプットなど実務的な作業ばっかりやっていた。当時の千葉県は、運転手がお客さんを殺すという凄惨な事件もあり、評判が悪かったんです。
そんな背景もあり、自社の仕事だけではなく、全体の質を向上させるためにはどうしたらいいかという視点で県協会の仕事もしていました。それゆえにいっそうタクシー業界に愛着が生まれた、ということもいえますね。
――1期生で議連の立ち上げというのは、今の永田町ではなかなか考えにくいのかと。
自分がタクシー業界にいたので、この業界がまったく政治に関与していないということがわかっていたから。業界そのものが政治とはまったく無縁で、政治家に何かを頼むということもなく、基本はすべて役所とのやり取り。さらに当時はバブルだったから、各社増車のことしか考えていなくて、経済成長とともに車両数を増やしていくこと。そこにしか目が向いていなかった。
ただ業界の未来を考えると、それじゃダメだろう、と。それで法律上の改正や仕組みづくりを考えるために必ず議連は必要だと思い、立ち上げに動きました。今では、150人ほどの議員が名を連ねる規模になった。
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