選択肢が残されていなかった
――1年が経過した今、改めて600人解雇騒動を振り返ってみていかがでしょうか。
当時はやむをえずああいう形になりましたが、結果的に会社は何とか倒産を免れました。タイミングが少しでも遅れていたら、営業再開は叶わなかったと思います。奇跡的に今の状況がある、と。
報道の中でも、「ほかに選択肢はなかったのか」と問われましたが、何度もシミュレーションし、さまざまな手を尽くしたうえでの経営判断でもあった。
2020年は東京五輪へ向けて、営業権、車、設備投資、銀座営業所の開設などに約7億円を投資し、勝負の年だと位置づけていた。それが新型コロナウイルスの影響で2月ごろから売り上げが激減し、乗務員さんの生活が貧窮していった。
そんな状況もあり、2月時点では希望者全員に緊急貸付金の10万円をお支払いしたんです。3月に入るとさらに急激に売り上げが落ちていく中で、資金が底をつくまでに追い込まれた。3月末に残っていた資金はわずか3600万円で、とてもじゃないですが来月以降、600人の給料を支払える状況ではありませんでした。決断したというより、正直これ(600人解雇)しか選択肢が残されていなかった。
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