ただの変人か、南方熊楠の再来か? 『裏山の奇人』を読む
かつて、ノーベル物理学賞を受賞された益川敏英先生にインタビューしたとき、とても印象的だった言葉がある。
「ノーベル賞を受けた科学者が必ず聞かれることに、『この研究は、何の役に立つんですか?』というものがあります。基礎科学が役に立つかどうかは、100年のオーダーでわかるものですから、すぐに『何の役に立つんですか?』という問いは、性急すぎます。まったく役に立ちそうもない研究だってありますよ。われわれの素粒子実験だって、そうかもしれません」
銅鉄研究でもいいじゃないか
本書でもふれられているが、3.11の原発事故後、放射能の影響を調べるために生物調査がたびたび行われている。しかし、被災前にどんな生き物がどれだけ生息していたかという情報が乏しく、比較ができないのである。こと自然相手の研究は、必要になってから慌てて調べようとしても、もう遅いのだ。
小松氏自身、外国産でしかわかっていなかったケカゲロウの幼虫期を日本産で解明したことの意義について、こう記している。
こういう「銅鉄研究(銅でこうだったことを、今度は鉄で試したというだけの研究)」は、研究者の間では無能のなせる恥ずべき行為として、すこぶるバカにされるのが普通である。しかし、それが何だというのだ。私は、純粋にこの虫の生態を知りたかった。「わからないことをわかりたい」、それこそが科学の本質だ。頭のなかでこれはこうだろうと思い描くだけで結局何もしないのと、実際にそれを見て確かめることとは、まったく別次元の話である。
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