実はシビアな競争社会「歌舞伎の襲名」意外な実態 一般家庭の出身で活躍する俳優も少なくない

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本名とは別に家にゆかりの幼名から出世魚のように名前を変えてゆく。その家に生まれ成長すれば名前を継げるわけではない。経験の積み重ねと、人気の有無、なにより芸が向上しなければ資格は得られないし、関係者の賛同も得られない。生まれ育ちだけで名乗れないのは、老舗の経営権(暖簾)の継承と同じである。

ところで「襲名」は「名を襲(おそ)い取る」のではない。「襲」という文字をよく見てほしい。上は龍、下は衣で構成されている。龍の衣は鱗(うろこ)。身体中びっしりと重なりあっている。それゆえ「襲(かさねる)」とも読む。初代から歴代積み上げてきた家の芸、その衣を海老蔵の場合、十三着目をまとうのが襲名というシステムなのである。

團十郎家は「江戸の荒事芸の宗家」。その象徴的な演目を集めた「歌舞伎十八番」を演じられる役者でなければ万人には認められない。「先祖の衣鉢(いはつ)を継ぐ」という日本の美風に、もっともなじむのが大衆娯楽の王者であった歌舞伎の伝統行事「襲名」なのである。アフターコロナの新常態の中、歌舞伎熱喚起に大いに役立つことは間違いない。

こうした「襲名」とともに故人の芸を慕う「追善」興行も歌舞伎界では大切なイベント。名優の名人芸を後継者がどう守り伝えてゆくかを、現代の観客に見てもらう絶好の機会であり、興行のカンフル剤で需要喚起の役割を果たす。

令和3(2021)年2月。歌舞伎座で十七世中村勘三郎の追善公演があった。中村勘九郎、七之助と孫世代が当主となり、勘九郎の長男、勘太郎と、次男、長三郎が、少年ながら目覚ましい活躍を見せ、評判になったのがいい例だ。

一般家庭から人間国宝になった坂東玉三郎

ここまで書くと伝統の家系、名門に生まれなければ歌舞伎俳優にはなれない?と思いがちだが違う。江戸時代から血縁より芸の出来不出来、腕がたつ弟子が後継者になる場合も多かった。

現在も、一般家庭から人間国宝までなった坂東玉三郎をはじめ、歌舞伎の家に生まれていないが第一線で活躍している例は片岡愛之助、市川右團次、市川笑也、市川猿弥、市川笑三郎など大勢いる。「名門」に生まれながら役者にならない人も実は何人もいる。

一見、温室育ちの優等生ばかりと思われがちの歌舞伎界だが、実際は競争社会。どこの世界とも同じ実力主義だ。名家に生まれれば、それなりの重圧感の中、人一倍稽古を重ねなければならず、歌舞伎界以外から飛び込んだ俳優は幼いときからの稽古をしていない分、他人より何倍も努力しなければ、ふさわしい役を与えられるチャンスはない。

御曹司だから、梨園外出身者だからといって区別するのではなく、「この舞台で誰が生き生きとしているか」が、現代の正しい「役者評判」となるのである。

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