実はシビアな競争社会「歌舞伎の襲名」意外な実態 一般家庭の出身で活躍する俳優も少なくない
歌舞伎のヘビーユーザーになると「○○屋さんはねえ」とか「俺△△屋の贔屓なんだよ」という人がいて、ちょっと気取って感じられたり「?」という顔をされたりするときがある。ただ、屋号を知っておくと「血縁」「芸系」など屋号=家系グループの特色がわかってくる。
市川團十郎家は「成田屋(なりたや)」。これは成田山信仰から。中村勘三郎家は中村座という芝居小屋の座元(劇場主)から始まったので「中村屋」と、どちらもわかりやすい。江戸世話物の代表的な尾上菊五郎家だが、「音羽屋(おとわや)」。初代は京都生まれ、父は劇場関係者で清水寺の音羽の滝から音羽半平(おとわはんべい)を名乗っていた。
中村歌右衛門家は初代の父が金沢出身で「加賀屋(かがや)」だったが、四代目團十郎から贈られた着物の柄、将棋の駒から成田屋の「成」に「駒」つまり、出世する縁起の良い名前「成駒屋(なりこまや)」に四代目歌右衛門がかえた。
現在の人間国宝、中村東蔵や歌右衛門の子息魁春(かいしゅん)は今も「加賀屋」を守り、中村鴈治郎(がんじろう)家は歌右衛門家由来の「成駒屋」だったが四代目襲名を機に音は同じだが「成駒家(や)」に表記を改めた。少し専門的になったが、初代からの芸の流れがわかるのだ。
ちなみにグループ名と書いたが、中村姓が多いので「中村さんはね」「あの中村はいいね」とはいわない。楽屋で「中村さーん」と呼べば、ほとんどが振り返る? いや振り返らない。フルネームか、下の名前のみ。落語家さんを林家さんとか三遊亭さんっていわないのと同じである。
役者名も隠居名や俳号がある
役者は書画を学び、俳句なども嗜(たしな)んだ。役者名も隠居名や俳号がある。菊五郎家の梅幸(ばいこう)は現菊五郎の父が七代目を名乗っていた、音羽屋の俳号である。六代目中村歌右衛門の次男、魁春は父の俳号。松本白鸚は現在の白鸚の父が隠居名として名乗ったが、二代目は活躍中なので俳優名になった。
コロナ禍以前の九月歌舞伎座は、例年「秀山祭(しゅうざんさい)」となっていた。初代中村吉右衛門の俳号が「秀山」。たくさんの名句も残したが、その舞台芸は「秀山十種」と名付けられ、二代目吉右衛門がゆかりの芸を継承するために開いている恒例行事。
襲名の項目で取り上げた海老蔵は、十三代目市川團十郎白猿襲名と記者会見している。白猿は團十郎家の俳号であり、役者名だが13人いたわけではない。五代目と七代目が役者名で白猿を名乗り、八代目は俳号として使用した。もともとは二代目が栢莚(はくえん)という俳号を名乗り百という字と草冠を二十と読ませて生き延びる、つまり百二十歳まで生きたいとしゃれて名付けた。
その音を使って五代目が白猿とした。二代目は殺害された父の遺志を継いで團十郎家の礎を作った。その偉人の名をはばかり猿という字を使ったのだ。七代目海老蔵は團十郎にならなかったが白猿を名乗った。俳号もふくめ白猿という役者は、歴史上これまでに4人いたということになる。團十郎家(成田屋)ゆかりの名前なので併記したのだろう。
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