イトマン事件、30年前に起きた戦後最大事件の闇 魑魅魍魎が跋扈、いまだに残された未解明の謎

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私は社会部内の配置換えとなった初日、遊軍席に座ったときに記者会見があることを知った。

遊軍とは、決まった持ち場がなく世の中の出来事に合わせて動く役割だが、上司からその日の社会面のまとめなどを命じられる前に、外に出る口実として同僚とともにイトマン本社へ出向いた。その段階では経済部の守備範囲ということで原稿を書いたわけではないが、「これはひょっとして大ごとになるのでは」と感じて資料を集め出した。

当時は登記簿謄本を見るには法務局に出向く必要があった。金の動きを追うために地上げされた土地の登記簿をあげ、会社の登記簿で役員名や住所を確認して自宅に夜回りをかける。そうした作業を続けていると、司法キャップから「許永中の名前が出てきたりすると、もう事件にはならんなあ。ご苦労さま」と言われた。当時の大阪の捜査当局はそんなふうにみられていた。新聞をはじめとするメディアもまた、独自取材で「関西の闇」に迫ることはほとんどなかった。

バブル経済とその破綻を象徴

1991年の元日の紙面でイトマンと許氏らの絵画取引について特報した。以後、事件が捜査の俎上にのぼると、取材陣の人数は雪だるま式に増え、毎日のように原稿を書くことになった。取材を始めて1年余り、明けても暮れてもイトマン。経済事件と聞くだけではゲップが出そうだった。

朝日新聞のデータベースによると、1991年に経済分野で最も頻繁に名前が登場したのは伊藤氏、2位が許氏、3位が河村氏だった。前年まではまったくのランク外だった3人がこれだけ登場した大阪の新聞紙面(東京本社版には半分も載っていない)には批判もあった。

読者のみならず、社内からも複雑すぎて事件の全体像が見えないと指摘された。まとまった記録を残さないと、後に「何があったかわからない」となりかねないと考えて、初公判が終わって以降執筆したのが、先に触れた『イトマン事件の深層』である。

河村氏らが起訴された同年8月13日、大阪ミナミの料亭の女将、尾上縫氏が有印私文書偽造などの容疑で大阪地検特捜部に逮捕された。7425億円の架空預金証書を偽造し、その証書を担保に4210億円をだまし取った容疑だった。ピーク時の借り入れは1兆3450億円にのぼった。

こちらの図式は単純だったが、イトマン事件と並び、日本中の大手金融機関を巻き込んだバブル経済とその破綻を象徴する事件だった。この日の大阪も32度を記録する暑い一日だった。

30年後のいま、異常な低金利が続き、コロナ対策などを名目に巨額の財政出動が繰り返されている。流れ出す金はどこに向かうのか。尋常ならざる事態はふつうの人々の目には触れないところで進行し、暴騰と破裂はあるとき一気にやってくる。バブル崩壊の痛みの記憶が消えるころ、次の危機がやってくるのかもしれない。

柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

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しばた・なおじ

ジャーナリスト。元朝日新聞記者(論説副主幹、アジア総局長、マニラ支局長、大阪・東京社会部デスクなどを歴任)、近畿大学教授などを経る。著書に「バンコク燃ゆ タックシンと『タイ式』民主主義」。

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