イトマン事件、30年前に起きた戦後最大事件の闇 魑魅魍魎が跋扈、いまだに残された未解明の謎

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検察は、河村氏の動機を解明し、事件の全体像を示すために当時の銀行内部の状況を検証する必要があったはずだが、最も重要な証人であり当事者である磯田氏や磯田氏の長女夫妻について、証人申請はおろか調書の証拠申請すらしなかった。

銀行の経営陣のなかで唯一申請した巽外夫頭取(当時)の調書を弁護側が不同意としたのに対し、証人申請もしなかった。意図的に避けたことは明らかだ。

捜査は、広島高検検事長を務めた住友銀行の顧問弁護士(故人)と同行融資3部が描いたシナリオに沿って進められた。銀行をできるだけ傷つけずに、暴力団につらなるアングラ勢力だけを摘出する。関西の検察幹部らは住友銀行の経営陣と定期的な会合を持つなど以前から親密な関係にあった。資本主義の総本山を守り、アウトローを排除する。所詮、検察は体制の安定装置にすぎない。国家権力の都合に合わせて捜査したということだろう。

一銀行員が自行会長の辞任工作

住友銀行でイトマン対策の中心を担った國重惇史氏が2016年、『住友銀行秘史』を出版した。そのなかで國重氏は、イトマンの経営に関する内部告発文書を書き、「伊藤萬従業員一同」と偽って大蔵省銀行局長やイトマンの主要取引先、マスコミなどに繰り返し送りつけ、大蔵省や日銀、新聞を動かしたことを告白している。

驚くべきは、自行の役員全員、そして磯田氏にも告発文書を送り付けていることだ。河村氏らの乱脈を告発するだけではなく、伊藤氏に籠絡された磯田氏を辞任に追い込む工作を一行員が主体的に行っていたのだ。

私は1991年春以降、國重氏とたびたび情報交換をした。最初は銀行関係者を通じて國重氏が面談を申し入れてきた。ある時点から私は、告発文書の作者が國重氏ではないかと推測するようになった。一連の文書を書ける人間をほかに思いつかなかったからだ。「あなたが書いたのでは」と直接ただしたが、そのときは否定していた。

國重氏と相談しながら文書の投函にかかわり続けた元日本経済新聞記者の大塚将司氏も2020年12月に『回想 イトマン事件』を出した。國重氏が文書を送り、その反応を見るため大塚氏が磯田氏宅などを夜回りする。まさに二人三脚、マッチポンプでコトを進めてゆく様子は両書に生々しく描かれている。銀行員、新聞記者とは思えぬ所業である。

國重氏が複数の他社の記者とも付き合っていたことは当時からわかっていたが、大塚氏とここまで一体化していたことは両書を読むまで知らなかった。

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