イトマン事件、30年前に起きた戦後最大事件の闇 魑魅魍魎が跋扈、いまだに残された未解明の謎

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伊藤、許両氏がイトマンに接近した意図ははっきりしていた。

許氏らは1980年代前半から関西の経済事犯でたびたび暗躍がささやかれながら摘発を免れてきた。日本レースを乗っ取って手形を乱発したり、近畿放送(KBS)の社屋や放送機材を担保に借金を重ねたりする自転車操業を繰り返していた。

倒産寸前だった上場企業・雅叙園観光の再建に失敗し、多額の借金を抱えていた。貸し手は暴力団関係筋が多かった。そんな折に2人の前に現れた河村氏は「ネギをしょったカモ」であり、イトマンは打ち出の小槌であった。

住友銀行の捜査はほとんど手つかずに

大阪地検の捜査は、それまで手つかずだったアングラ勢力の暗躍を許す関西の土壌に切り込んだ。伊藤氏、許氏と暴力団のつながりを指摘し、彼らがのし上がっていく過程でいかに暴力団の力を利用し、借りを返してきたかを冒頭陳述で詳述した。

イトマンの役員室に山口組組員が出入りしていた様子などを挙げて密接なつながりを暴いた。イトマンから流れた資金の相当部分が、株の買い取りや絵画取引、霊園開発名目の融資などで組周辺や右翼団体に流れたことも立証した。そうした点で捜査は画期的だった。

ところが検察は、アングラ勢力に対するもう一方の当事者である住友銀行にはほとんど手をつけなかった。河村氏の動機が不明である理由の1つはそこにある。

メインバンクの住友銀行は、伊藤氏が入社する前からイトマンの変調と河村氏の暴走には当然気づいていた。それでも、同行が首都圏で地歩を固めた平和相互銀行の吸収合併で、磯田氏の意を受けて大きな役割を果たした河村氏に強く意見をすることができなかった。

一方の河村氏も磯田氏のマンション購入の手続きから賃借人のあっせんまでを引き受け、磯田氏の娘婿の会社を物心両面でバックアップした。そもそも事件となった絵画取引の発端は、磯田氏の娘が河村氏に持ち掛けたことである。

河村氏が、山口組との強いつながりが指摘されていた伊藤氏をイトマンに入社させたことで住友銀行もさすがにあわてた。銀行内部で河村氏の去就をめぐり、激しい人事抗争が始まる。河村氏の退任を求める声が銀行内で強まる中、河村氏は伊藤、許両氏が差し出す毒を皿まで食って破滅への道をひた走った。

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