原田:一方、お母さんたちの間でもiPadといったタブレットの評価が高いんですね。すぐに立ち上がるし、そのまま子どもに見せられるし、転がってもできるし。主婦層や子どもに受けそうなアプリやゲームもずいぶん開発されてきています。
尾木:そう、使わなければいいのかというと、そういう問題でもない。
火をおこしたり、たき火をしたり、水の中で戯れたり、夏場に海水浴に行ったり。これを原体験といいます。木登りして落っこちるとか、動物に触れあったり、あるいは真っ暗闇で満点の星を眺めたりとか。そういう原体験がすごく重要で、学力の土台でもあるわけですよね。
だから、そういうタブレットを使う生活の一方で、そうした原体験も重視していけば、ひょっとしたら、僕はタブレットを(教育に)有効に組み込んでいける、成長につながるんじゃないか、とも思うんです。
原田:なるほど。
尾木:テレビがよくないと考え、テレビを押し入れにしまい込んだという親御さんがいたんですが、そういう問題じゃないんですよ。テレビを見なくても、やることがなくてぼーっとしているんだとしたら、それは無意味です。
ネットを、受け身で防衛していくのは無理
原田:先ほど、スマホやLINEで変化が起こるというお話がありましたが、その流れでいくと、ここ1~2年でタブレットによる変化も起こってくるのではないかと。実際、今、タブレットは大学生にかなり広がってきています。
尾木:結局、そうした問題も、受け身で防衛していくのでは無理だと思うんです。
今年、シンガポールに視察に行ったのですが、“攻めて”使っているわけですよ。たとえば、小学校4年生は、みんなスマホを持っていて、通学リュックの中に入れていましたね。算数の時間でも理科の時間でも、机の上に出して、先生が「はい、送信してください」って言うと、一気に(子どもたちから)答えが集まってきて、そして一瞬にして前のスクリーンに、「正解が27人、間違えた人が何人」って出て。それが誰が回答したものかも、先生にはわかるようになっているのです。それで、間違った答えについてみんなで議論し合ったりね。
そうした機器を使ったり、あるいは、教え方そのものを変える、アプローチを変えることの可能性があると思うのです。
たとえば日本では掛け算の九九を習得するのに、ペーパーを使って時間をかけて学んでいますが、インドの小学校などは、1年生の最初の段階で「2ケタ×2ケタ」。それも、同時に割り算も一緒にやっちゃってるんですよ。日本では、1年半くらいかけることです。そう考えると、授業数は多くなくたっていいわけですよ。だからね、そういう内容の改革。
数学にしたら、インド式を取り入れてみようか、とかね。今の日本の数学って、戦前と同じ。単純にマスターして、ステップアップしていく方式。そうじゃなくて、本質に入るっていうのね。そういう攻め方を全然していないんですよ。だから授業時間がかかるんです。
量を増やしたって、インドでは時間はかからないですよ。瞬時ですよ。なんでもスマホを使えばいいってわけではないですけど、活用して、どういうふうに攻めて使っていくかが大事なことなのです。
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