がん患者が最期を自宅で迎えられるために 前国立がんセンター名誉総長・垣添忠生氏②

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かきぞえ・ただお 国立がんセンター元総長。1941年生まれ。東京大学医学部卒業。都立豊島病院、東大医学部泌尿器科助手などを経て、75年から国立がんセンター病院に勤務。同センターの手術部長、病院長などを務め、2002年総長に就任。07年に退職し名誉総長になる。近著に『妻を看取る日』。

今の日本では、年間約34万人が、がんで亡くなり、そのうち20万人ぐらいが配偶者を亡くすといわれています。家族や知人を含め、がんと無縁でいられる方は、むしろ少ないでしょう。がんとどう付き合うかは、多くの人の深刻な問題です。

私は国立がんセンターで病院長を務めているとき、妻ががんになりました。肺の腺がんでした。左肺の一部を切除し、すぐに元気を取り戻しました。が、数年して今度は甲状腺がんになり、甲状腺の大部分とリンパ節を切除しました。さらに数年後、右の肺に影が見つかり、肺小細胞がんと診断されました。発育が速く、転移しやすい厄介ながんです。

陽子線治療、放射線治療など、あらゆる手を尽くしました。抗がん剤のつらい治療も受けてくれました。「こんなつらい治療を受けたのは、あなたのためですよ」とも言われました。頑張っている姿勢を見せようと耐えてくれたのだと思います。

がんの在宅医療の体制はまだまだ未整備

一時的によくなるときもありましたが、その後、脳、肝臓、肺、副腎への転移が確認され、病状は急速に悪化し、年の暮れが迫ると、「年末年始は何としても家に帰りたい」と訴えるようになりました。

私は在宅用の医療機器や医薬品、酸素などの手配を進めました。12月28日、わが家へ戻った妻の目には、生気がよみがえっていました。しかし、その翌日から病状はつるべ落としのように悪くなり、大みそかの日、ついに妻の寿命は尽きてしまいました。その後、私がうつ状態になったことは前回お話ししたとおりです。

この経験を通じて、医師である私が感じるのは、がんの在宅医療の体制は、まだまだ未整備だということ。「自宅で最期の日々を過ごしたい」という人はたくさんいると思います。ところが、この希望をかなえようとすると、家族への負担はかなり重いものとなります。病院の医師と、かかりつけ医、訪問看護師などが連携し、素早く病状急変などに対応できる体制を組む必要があります。

患者の痛みを和らげる緩和医療もより充実させないといけません。治せないがんでも、患者が生きている間は、尊厳を持てるよう援助することが大事です。鎮痛薬などによる薬物治療のみならず、精神的な痛みを和らげるケアが必要なのです。医師は、患者の立場に立って、どういう言い方をされると心に痛みを感じるか、などを学ばないといけません。こうした緩和ケアは欧米では当たり前ですが、日本では不十分です。在宅医療と緩和医療の充実は、日本のがん対策のこれからの課題です。

週刊東洋経済編集部
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