もちろん、あれから湯船で顔を洗ってはいないが、その程度で何かが変わるわけじゃない。いつも見張られているような気がしてリラックスどころじゃない。ついには思い余って足を延ばしコソコソと隣の銭湯に行く。するとなんと、そこにも偶然彼女が来ているではないか!
勇気を出して挨拶したら、見えてきたこと
コトここにいたり、私は観念した。これはもう何かの運命である。
避けられないのなら、もう積極的に迎え撃つしかない。きっと無視されるという恐怖を押し殺し、勇気を出して「こんにちは!」とカラ元気で挨拶すると、意味不明の勢いに押されたのか、ああ……こんにちは、と返事がちゃんと返ってきた。少しだけほっとする。
人とは単純なもので、たったこれだけのことで、ようやく心穏やかに湯船に浸かるコトができた。すると、周りの様子が少しずつ見えてきた。古い銭湯だけに、壁のタイル画はなかなか立派なものである。そして彼女はここでも常連のようで、まめにいろんな人に声をかけている。
なるほど実は世話好きな人なのだな。それが高じて、時おり人の背中を流したりもしている。もちろん流される方もうれしそうだ。みんな仲がいい。まさしく家族のようである。
こうしてみると、彼女はどう考えても私よりずっと立派な人なのであった。何しろもし彼女がいなくなれば、多くの常連さんが寂しく悲しく思うであろう。
一方の私はどうだろう。いてもいなくてもまったく同じである。実はこの間「彼女さえいなければ……」と考えなかったわけじゃないんだが、とんでもないことであった。いなくていいのはどう考えても私の方である。
それにしても、今笑顔で背中を流してもらっているおばあさんと、厳しく注意された私とは、なんという大きな差であろうか。私の何がそんなにいけなかったのだろう。私もいつの日か、この仲間の中に入れていただける日が来るのだろうか。そう思うと、あまりの果てしない道のりに思わずハアとため息が出てくる。
そうなのだ。このような赤の他人同士の温かい付き合いが心地よく成立するためには長い時間が必要なのだ。この常連さんたちは、それを一からこつこつと積み上げて来たに違いない。
……そうか。なぜあの日、私がピシャリと叱られたのかがわかってきた気がした。
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