「銭湯生活デビュー」で常連にいきなり叱られた訳 ご近所付き合いを始めたときに起こった「事件」

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問題は、私が「湯船で顔を洗った」という行為そのものにあったわけじゃない。たかだか最低限のルールを知っているというだけで、ちゃんとお金払ってるし何か文句ありますかとでもいうような態度でやってきた見慣れぬ女に、彼女は、皆が時間をかけてコツコツ積み上げてきた大切な世界をブチ壊されかねない危機感を抱いたのではなかろうか。

確かに胸に手を当てて考えてみれば、私は今後「マイ風呂」となる初めての場所へ乗り込んでいくにあたり、なめられちゃいけないと必要以上に頭を高くしていた気がする。

だから、ダメだったんだ。

信頼とは、何かをかましたり、偉そうな態度に出て得られるものではなかったのだ。何よりここは銭湯である。肩書きも財力も関係ない、裸の人間力だけがものを言う世界。つまり、人が生きていくのに本当に大切なものがシンプルに問われる世界。

そこで私の態度はまったく通用しなかった。思えば、私はこれまで、本当の意味で人と信頼関係を築いたことなんてあったろうか? 会社で生き残るために、相手をねじ伏せたりコケ脅しで感心させたりして世の中を乗り切ってきたつもりになってきただけなのかもしれない。

誰にでも「こんばんは」「お先に失礼します」

じゃあ一体どうしたらいいのだろう?

情けないことに、50年も生きてきてそんなこともわからないのである。ただ一つはっきりしていることは、私がこれからも銭湯生活を続けるのであれば、っていうか続けるしかないんだが、まずは彼女に敬意を払うべきである。

何しろ今の私には誰を幸せにすることもできないが、彼女は間違いなくいろんな人を幸せにしている。その彼女が元気に銭湯に通えるよう、少なくとも彼女を苛立たせたり怒らせたりしないようにすることくらいしか、今の私にはできないのだ。ならばまずはそれをやるしかない。

ということで、まずはコソコソすることをやめ、自分なりに精一杯頑張って元気に彼女に挨拶を繰り返した。そうこうするうちに、彼女だけでなく皆様に挨拶して当然ではないかと思うに至り、誰であれ「こんばんは」「お先に失礼します」と挨拶をするようになった。

挨拶をきちんとしましょうなんて、小学生の標語みたいである。今更そんなことを一から始めている自分が情けない気もしたが、今の私にはこれしかできないんだから仕方がない。

ここが私の、本当の意味でのスタート地点であった。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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