「銭湯生活デビュー」で常連にいきなり叱られた訳 ご近所付き合いを始めたときに起こった「事件」

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いやーこれでもう私、大丈夫だよ。給料がもらえなくなっても小さな家に引っ越さなきゃいけなくなっても、悔しいだの何だのほざくことなどまったくなく、堂々と元気に前を向いて生きていけるよ……。

などといい気になっていたんだが、これは単なる始まりにすぎなかった。

ここからさらに、わが世界は音を立てて変わり始めたのである。

「街がわが家」「実は豪邸暮らし」……そんなマイ脳内コンセプトは、いくら画期的とはいえ、私の頭の中だけの出来事だ。

人様から見れば私は、ただ単に小さな古い家に暮らす独身中年女にすぎない。すぎないが、ただ自分自身の心の問題として、人知れずそのようなバーチャル世界を一人勝手にウッシッシと思いながら生きていくのである。

そう考えるとアホみたいな気もするが、それで自分の気持ちが前向きになれるのなら、アホだろうが何だろうがこれほど有難いことはない。そう「元気があれば何でもできる」のだ!

最初は、そのように思っていた。

だがそのようなことでは済まなかったのだ。

街がわが家なら、ご近所さんは「家族」

現実にこのような生活をスタートさせてみると、私は頭の中だけではなく、行動も変えなければならなくなった。早い話が「ご近所づきあい」というものをしなければならなくなったのである。

ご近所づきあい……。いやね、言葉は聞いたことありますよもちろん。でも実際、やったことがあるかと聞かれれば、ほぼない。いやまったくないと言っていい。

何しろ社会人になって以来、自宅と会社の往復しかしてこなかった。ただでさえ会社の絡みに絡んだ人間関係で手一杯なのに、一文の得にもならない赤の他人に気を遣うなど、正直言えばやろうと思ったこともない。というか、可能な限り避けたいことであり煩わしいことであった。せいぜいマンションの管理人さんに挨拶をする程度で精一杯。

だが、何しろこれからは「街がわが家」である。ということは、街の人はいわば「家族」ということになる。となれば、これまでみたいに「私、ちゃんと自立して生きてるんで」「お互いプライバシー守ってドライに行きましょうや」などとお高くとまっている場合ではないのである。

最初にそのことを思い知ったのは、例のわが大浴場、そう歩いて3分の近所の銭湯においてである。

実は通い始めた頃、ちょっとした「事件」があった。

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