希代のプロデューサーが「遺言」に「仕掛けた罠」 自分で立ち、自分で考えるということの重要性

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昨年8月、惜しまれつつ亡くなった「日本を代表する知性」山崎正和氏が残した「遺言」とは(写真:BrianAJackson/iStock)
2020年8月、惜しまれつつ亡くなった「日本を代表する知性」山崎正和氏。このたび逝去直前に行われた同氏へのロングインタビューや、キーパーソンの貴重な歴史的証言を基にした初の本格評伝『山崎正和の遺言』が刊行された。
「戦後最大の知識人」とも称される山崎正和氏は、われわれにどのようなラストメッセージを遺したのか。政治学者の待鳥聡史氏が読み解く。

なぜ「遺言」なのか

劇作家、演出家、評論家、首相ブレイン……。2020年8月に逝去した山崎正和は、その86年にわたる生涯において、実に多面的かつ精力的に活動した。主だった受賞歴を取り上げるだけでも、『世阿彌』により29歳で岸田戯曲賞を受けたのを皮切りに、読売文学賞、毎日出版文化賞、吉野作造賞、大阪文化賞、日本藝術院賞、文化勲章など、活躍したほぼすべての領域で極めて高い評価を得てきた。ダニエル・ベルやマーク・リラなど、海外の知識人とも深い交流があった。まことに驚嘆すべき存在だったわけだが、山崎を個人的に知る人は誰もが、決して尊大にならない人柄にも魅了された。

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それだけに、山崎正和を論じ、考えようとする切り口としても、多様なものが考えられる。逝去から間もない2020年12月に公刊された『別冊アステイオン それぞれの山崎正和』(CCCメディアハウス)では、70人近くの執筆者が文字どおり「それぞれの山崎正和」を語っていることからも、そのことは明らかである。今後、本格的な研究が進むにつれて、一層さまざまな山崎正和論が提示されるに違いない。

このたび出版された片山修著『山崎正和の遺言』(東洋経済新報社、以下「本書」と略す)は、多彩極まる山崎の軌跡の中で、主にサントリー文化財団での活動に注目した評伝である。その前史としての幼少期や学生時代、劇作家として国内外からの評価を確立する過程についてもふれられているが、序章と終章を含む全10章のうち8章が、サントリー文化財団とそこでの山崎を扱っている。この点は間違いなく、本書の大きな特徴である。

著者の片山が、山崎の活動の他の側面に関心や知識がないわけでは、もちろんない。むしろ、片山は山崎が週刊誌連載をもとに1977年に公刊した『おんりい・いえすたでい ’60s』を口述筆記者やアンカーとしてサポートした経験を持ち、山崎の多様かつ膨大な仕事にも精通している。劇作家としての山崎と活動をともにした演劇人や、評論家としての山崎を担当した編集者などから話を聞くことも現在ならまだ可能であり、片山のインタビューや調査能力からは、そちらを中心に叙述することも十分にできたはずである。

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