商店街は東京にしか残っていない
――現在の「ほどほどパラダイス」が永続しないことがわかっている。
そりゃ、そうです。商店街から消費の部分だけをスポンと抜き出して、巨大にしたのがイオンモールです。かつての商店街は、消費の場と生活の場が一体化していて、そこでモノを買えば、同時に生活のコミュニティもそこに生成していた。それが商店街の強みだったのですが、そこから生活のコミュニティがスポンと抜け落ちてしまったのがイオンモールなので、もう消費者でしかない。だから、生活者としての不安感はすごく大きいわけです。
今は家族が支えているけれども、親が亡くなった後を考えると、やっぱり別のところでコミュニティをきちっと作らなければいけない。そういう不安感をフックして、地域にもっと目を向けて新たな人間関係を作り、地道にコミュニティを作っていこうとする意識も生まれています。
――商店街にはモールよりは密な人間関係があった。
モールよりは(笑)。
――今はモールに車で行って楽しむだけ。都会的ですね。
都会的といえば都会的ですが、最近は地方よりも都会のほうが商店街は残っていますよ。日本中で東京だけが前近代的な感じになっています。たとえば、東京のど真ん中の麻布十番や神保町に商店街があるし、北区や荒川区に古き良き下町を残している。東京の下町の人のほうがハードヤンキー的な感じがします。ハードヤンキーは日本中でもう東京の下町にしかいない。西日暮里や田端に行けば会えるみたいな(笑)。
地元でずっと暮らしているおじいちゃん、おばあちゃんがいたりして、地域というものが可視化されています。逆に、僕の実家のほうが、地域が見えづらい。東京のほうが密な人間関係が残っていて、地方の子ほど地域を知らず、イオンモールしか知らない。そういう逆転現象が起きています。
それは、東京は人口密度が高すぎてモータライゼーションができず、土地がなくてイオンモールを作れなかったからでしょう。
――阿部さんは現在、西オーストラリア大学客員研究員としてオーストラリアに住んでいますが、そちらのショッピングモール事情は?
オーストラリアはショッピングモールしかありません。車での移動が中心ですし、オーストラリアとアメリカはそうですよね。
――オーストラリアの人は快適なのか、それとも不安を感じているのでしょうか。
快適でしょう。日本と違うのは、教会がある点です。皆で教会に集まって何かコミュニティ活動をするという文化がある。場所は別に教会でなくてもよくて、とにかくどこかに集まって作ればいいじゃないかという感じです。
日本の場合は、お寺がそういう機能をあまり果たしていないですよね。今後の日本が参考にすべき点はあると思います。
――ショッピングモールの今後のあり方として、「コミュニティ作り」がキーワードになるかもしれませんね。
そうですね。
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