ハーバード名誉教授が警鐘!「監視資本主義」の罠 私が人類のために本気で伝えたかったこと
産業文明が自然(ネイチャー)を犠牲にし、今では地球まで犠牲にしているのと同様に、監視資本主義と道具主義が形成した情報文明は、人間の本質(ネイチャー)を犠牲にして繁栄し、いずれは人間性を犠牲にするだろう。
「独占」や「プライバシー」では対抗できない
産業化がもたらした気候変動という遺産に、わたしたちは狼狽し、後悔し、怯える。監視資本主義が現代の情報資本主義の支配的な形になったら、将来の世代はどのような損害を被り、どのような後悔を抱くだろう。
監視資本主義が多くの勝利を収めることができたのは、1つには、それに前例がなかったからだ。前例のないものは、当然ながら認識しにくい。わたしたちは前例のないものに出会うと、なじみのあるレンズを通してそれを理解しようとするが、それでは相手の本質が見えなくなる。その古典的な例は、「自動車」を初めて見た人々が、それを「馬のない馬車」と呼んだことだ。
監視資本主義の前例のない性質は、既存の概念では正しく理解できなかったので、組織的な抵抗を免れた。わたしたちは、「独占」や「プライバシー」といったカテゴリで監視資本主義に抵抗しようとした。
もちろん、どちらも重要であり、実際 、監視資本主義は「独占的」で、「プライバシー」を脅かしている。それでも、既存のカテゴリに頼っていたのでは、この前例のないレジームの実態を特定することも、それに対抗することもできない。
監視資本主義は今の軌道をそのまま進み、蓄積の支配的論理になるだろうか?それとも時がたてば、それが歯を持つ鳥だということに、つまり、資本主義の長旅が必然的に行き着くおぞましくも不運な結末だということに、わたしたちが気づくのだろうか。
もし気づくのであれば、何がそうさせるのだろう。そして何が有効なワクチンになるだろう。
あらゆるワクチンは、敵である病気を深く知ることから始まる。本書で見ていく監視資本主義は、奇妙で、独創的で、想像も及ばないものだ。本書の活力になっているのは、前例のないものに対抗するには、まず新たな所見や分析や命名が必要だという確信である。
本書の目的は、 誰も知らないこの領域の、最初の地図を描くことだ。多くの開拓者が後に続くことを願っている。監視資本主義とその結果を理解するには、さまざまな学問分野と時代を縦横に行き来しなければならない。
目指すのは、これまでなじみのなかった概念、現象、レトリックおよび慣行の中にパターンを見つけるのに役立つ、概念と枠組みを構築することだ。そうやって未踏の地を地図に記していけば、やがて人形遣いの、骨と肉を持つ実体が見えてくるだろう。
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