この連載の第2回・第3回で書いたように、政府もペーパーテストなどの点数の高さを争う”旧来型学力”による試験偏重では親子のストレスが大きいとして、1990年代以降の教育改革を実施してきた。
しかし、現在のシンガポールの子どもたちは、バスや親などの送迎で移動をし、自宅では学校や塾の宿題に追われている。これらはむしろ教育改革後の新たなストレスであると言えそうだ。
たとえば自分自身は「祖母はすごく怖くて、宿題を白紙にしたまま遊び始めたのを見つけると連れ戻されたし、母が20時ごろ帰ってきたらそこからまたアセスメントブック(ドリルのようなもの)で勉強をしないといけなかった」と語るSherryさん(仮名)は、自分の子ども時代と同じような育児をしたいとは全く思っていない。
しかし、毎日分刻みのスケジュールで子どもの習い事の送り迎えをして「習い事のあとは、宿題もしないといけないし、本も読まないといけない。テレビはうちは見せてないの。テレビを見る時間はないから」と余裕のなさを語る。
自分が育った環境について「競争は常にあったし、今もある」と話す金融機関勤務の中華系女性、Aimyさん(仮名)も、「シンガポールの日常はとてもストレスフルだと思う。子どもたちには幸せになってほしい。でも学業もやらなくていいというわけではないし。そのバランスはすごく難しい」と悩む。
多くの親には、教育によってその後の人生が大きく変わるという認識がある。少なくとも今の生活、もっと端的にいうと“階層”を維持するのが幸福と思えば、周囲がしていることを自分がしないという決断には踏み切れない。
“旧来型学力”によるストレス生活を脱却しようとした結果、また別の忙しさというストレスを子どもたちが受けているとしたら。政策の皮肉な帰結だ。”新しい能力”をも追い求める結果、数々の習い事に追われ、決められたことを次々とこなす……ここから果たして、創造性が生まれるかどうか。
臨床心理士の武田信子は『やりすぎ教育―商品化する子どもたち』(2021年)の中で、発達において遊びが果たす重要性と、遊びさえも管理され自由に遊ぶ権利が剥奪されていることに警鐘を鳴らしている。
階層の再生産を生む
もう1つは、階層の再生産、つまり格差とその固定化の問題だ。
実は中間層の親子の“分刻みの忙しさ”については、アメリカの社会学者Annette Lareauが家庭教育について描いた『Unequal Childhoods』によっても指摘されている。この本は中間層(ミドルクラス)と労働者階級で、子どもたちの放課後の過ごし方がいかに異なるかを描きだす。
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