船橋:今回、政府と都道府県知事、そして1741の自治体の指揮命令系統がまったくできていないことが露呈しました。少しでも感染予防の対策の執行力を強めるため、政府は特措法を改正しましたが、政府が都道府県知事や自治体の長にお願いするやり方は基本的にはほとんど変わっていないと思います。
都道府県側は政府のお墨付き(財政支援)を得たいがため政府を先に動かしたい、政府は現場の個々の問題を都道府県側、さらには自治体側に”丸投げ“し、責任を回避したい、といった共棲関係にあるように見えます。ただ、これでは有事を乗り切れない。この背景には、分割管掌原則という明治憲法以来、変わらない日本の統治レガシーがあり、根は深いと思いますが、戦後、それに地方自治原則が加わり、さらに統治の遠心力が増幅したのだと思います。
戦後の日本は、占領軍が憲法の草案をつくったときも含めて、軍部への権力の集中が戦時ファッショの背景の1つだったとの反省から、地方分権と地方自治を旨としてきました。ところが、地方自治といいながら、自立している地方政府は少ない。災害を含めて有事の際、自衛隊が動員されることは必至です。
東日本大震災と福島原発事故の時も、結局、自衛隊が「最後の砦」でした。その場合でも、自衛隊、警察、消防といったファーストリスポンダーの間の指揮命令系統の構築と協同作業は難航し、「総合調整」というあいまいな形でしか対応できなかった。こうした統治の遠心力、なかでも中央と地方の関係の課題についてどのようにお考えですか。
戸部:地方と中央との関係と分権の問題は、もしかすると性質の違うことなのかもしれませんが、分権制にだけ着目して言うと、戦前も分権制ですから制度としては変わっていません。日本の中央の政治制度だけのことを申し上げると、権力をどこかに集中させる仕組みは、戦前からずっと作っていません。しかし、その仕組みがなくても、戦前には中央にそれを何とか動かすのだという意志がありました。戦後は、その意志もなくなってしまっているということだと思います。
スピード――日米の差
船橋:意志もない、ですか。官邸スタッフの一人が、日本の有事と国家統治の課題は、「地方自治と大学自治の2つ。これを言うと誰もが黙る。首相支配とか官邸支配とか買いかぶりだ」と言って苦笑していましたが……。
ところで、官僚制ともかかわる問題かもしれませんが、ワクチン接種では日本の政治のスピード感のなさが露呈しました。一方、アメリカは、mRNAを危機のさなかに間に合わせて生産、供給しましたし、ものすごいスピードでワクチン接種を実施しています。1日に400万人以上、接種した日もあるほどです。1年前、アメリカは惨憺たる状況でしたが、空気が一気に変わっています。アメリカの技術革新力とロジスティクス力の底力を見せつけられた形です。
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