「敗戦」とは呼びたくない
船橋 洋一(以下、船橋):今年の3月で東日本大震災と福島の原発事故から10年の節目を迎えましたが、今、日本だけでなく世界は新型コロナウイルス感染症のパンデミックの渦中にあります。先の戦争とフクシマ、そして今回のパンデミックはさまざまな意味において、私たちが経験した大きな危機ですが、私はまだ、日本のコロナとの戦いを「敗戦」とは呼びたくないと思っています。
今後、局面がどう変わるかまだ予断を許しません。この1年半、それこそオセロゲームのように、中国、イタリア、イギリス、アメリカ、ブラジルなど感染爆発の局面はその都度、変わり、今はインドが大変な状況に陥っています。
また、世界的に接種が進んだとしても、インド株をはじめとする変異株に対して今のワクチンの有効性はいつまで、どこまで持続するのかという問題も浮上しています。ワクチンはパンデミック収束の切り札とはならず、変異株とワクチン開発のいたちごっこになる可能性すらあります。ですから、そのような状況で、結論を出すのはまだ早いと思うのです。
しかし、これまでの日本政府の対応を見ていると、例えば、デジタル活用では後れを取ったと感じます。中国が感染対策にICT技術やAI技術を駆使したのに対し、日本ではトラッキング、隔離、通知・警告、データ収集・分析のいずれの分野でもデジタル技術のイノベーションを使いきれなかった。「デジタル敗戦」は否定できない。
また、残念ながらワクチンに関しても、開発・生産体制、承認体制、接種体制のいずれを見ても、「三周半遅れ」(民間臨調報告書)で喘いでいる。「ワクチン敗戦」と言われてもしょうがない。世界の日本を見る目もすっかり変わってしまっています。
1990年代の金融危機、2011年の福島原発危機、そして今回のコロナ危機と、国家的危機に対して政府が対応に失敗するたびに、読み返すのが『失敗の本質』です。この本は、戸部さんや野中郁次郎さんをはじめとする各分野の研究者の共同研究の成果です。1984年にダイヤモンド社から刊行された、日本軍の失敗を研究した名著ですが、その後、中央公論新社で文庫化され実に70刷を刻んでいます。
コロナ危機はまだ進行形ですが、フクシマの経験も含め、日本の危機対応について、戦前の日本軍の失敗に照らして、何が問われているのか。さまざまな観点から日本の課題について伺いたいと思います。
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