サラリーマン男性への同情、自由な女への賛歌
このようなサラリーマン男性への同情は『ラヴァーズ・キス』にも見える。「サラリーマンの苦労がよーくわかった おれはもー自分を偽ることはできねー」というセリフがそれだ。これを語ったテルは『海街diary』に至るまで、地域社会をつなぐ守護者となっている。
しかし、サラリーマン家庭は嫌だから大家族というのでは、単なる懐古主義ではないか。『海街diary』がそうした穴に陥らないのは、地域社会を強調しながらも、そこに描かれる大家族的なあり方が、旧来的な大家族のあり方とは実は違っているからだ。
ここで語られる家族において、親子などのような公式的な関係は希薄だ。『海街diary』の主人公・香田四姉妹も、旧来的な意味では大家族というわけじゃない。それが人との縁をつないでゆくことで新たな大家族にかたちを変えてゆく。家や、梅の木や、そして鎌倉という地の地霊を媒介して、単なる墨守とはまったく違う、新しいかたちのコミュニティが、しだいに形成されてゆくのだ。
そのコミュニティづくりにおいて際立つのは、自由な女たちの姿だ。先のハナコさんの「女にうまれてヨカッタ」ではないが、吉田作品には(楽観的かもしれないが)自由な女への賛歌が通底している。
吉田が『ハナコ月記』で描いたような自由な女性は、90年代前後のバブルの中でかろうじて人生を謳歌できただけだったかもしれないが、いま、自由な女には新しい可能性があるんだ。彼女たちが旧来的な家族像に囚われずに動けば、それは人の縁を紡いでゆくんだ。あなたたち自由な女こそが新しいコミュニティづくりを担うんだ。『海街diary』は新世紀の女性への応援歌なのかもしれない。
【「週刊東洋経済」2014/7/12号:2014年後半 経済大予測】
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