「キャリアとケッコンだけじゃ、いや。」の結婚観
漫画家・柴門ふみの『あすなろ白書』の中で、ヒロインの名取ちなみは、勤め先の社長との不倫旅行の車中で、彼の読む大“後”研一の本を取り上げて、「私の雑誌」と言って『Hanako』を手渡す。この雑誌が、いかに当時のOLによく読まれていたのかを伝える描写だ。
『Hanako』は「キャリアとケッコンだけじゃ、いや。」をキャッチコピーに、1988年に創刊された。若い女性たちに海外ブランド信仰を植え付け、海外旅行と外食文化を習慣づけ、その意味ではバブルの空気に乗っかったというよりバブルの空気をつくり出した雑誌だった。キャッチコピーの通り、プラスαを追求した雑誌であったから、結婚に関する特集はほとんどなかった。
だが、当時の結婚に対する空気を伝えるものがないわけじゃない。初代編集長だった椎根和が『銀座Hanako物語』で、当時の同棲中のカップルをリアルに描いていると評したのが、同誌で連載された吉田秋生(スージー吉田)の漫画、『ハナコ月記』だ。
確かに『ハナコ月記』は当時の様子をよく伝えている。たとえば創刊初期、主人公のイラストレーター・ハナコさんと彼氏のサラリーマン・イチローさんの食卓はちゃぶ台だった。畳のような床に布団を敷いた寝床の脇には、メジャー雑誌『an・an』が置いてある。創刊当初、『Hanako』は、マージナルな雑誌にすぎなかった。
ところがその数年後、創刊当初の『Hanako』を「ユニーク」とのみ評していたエッセイスト松原惇子は、『クロワッサン症候群 その後』において、「「Hanako」は80年代終りから90年代にかけての女性の生き方を象徴した雑誌」とまで評価を一変させる。1989年に「Hanako族」が流行語になるなど、この時期には『Hanako』は相当メジャーになったのだ。ハナコさんも堂々と『Hanako』を読むようになる。
ハナコさんたちの生活も、どこか影響を受けた。彼女らは、すぐにダイニングテーブルで食事をとるようになり、渋滞にも負けずスキーに出掛けるようになる。あえて行き先を北海道に選んでも、「イチローさんとハナコさんが北海道に行けるなら他の人たちにだって行けるのです」というわけで予約がとれないという、なんだかいかにもバブリーな空気が見事に描かれるようになった。
もちろん、記念日にはイチローさんはハナコさんが『Hanako』で選んだブランド物をプレゼントしなければならない。時代だ。仕方ない。