日本の教育制度は、ある一定の枠の中に人間の個性を封じ込めて集団行動させることに大きな意味を見いだしている。個性を伸ばす教育が不足している。ある意味で、第2次世界大戦前の教育の方向性が本質的なところでは変わっていないと言ってもよい。そして、企業も個性を捨てた人間の集団をつくり続けている。
パンデミックという「有事」に巻き込まれている今、日本はこうした根源的な部分でももう一度立ち返ってみる必要があるのかもしれない。
法的整備の不備は政治家の怠慢?
そして、もうひとつ忘れてならないのは、法律がないからという理由で何もしなかった政治の怠慢がある。法律がなかったのはどこの国もほとんど同じだ。しかし、イギリスではすぐに新しい法律を作って対応した。
日本では、そもそも議員立法という概念が希薄で、ほとんどの政治家がパンデミックの中で結局何もしなかった、といっても過言ではない。せっかく莫大な予算を使って立法府のシステムがあるのに、なぜ日本の政治家は法律を作らないのか……。ここにも制度上の欠陥がありそうだ。
そもそも、日本には「通達行政」という便利な制度がある。法律など改正しなくても、通達1本で国民の生活スタイルを変えてしまうことが何度かあった。官庁相手のみならず、民間企業である私立大学への通達などはそのいい例だ。
そして、最後に東京五輪の存在だ。オリンピック開催にこだわったことが、コロナ対策に大きな影響を与えた。政府与党が東京五輪開催によって、総選挙を有利に導こうとしていることは明らかだし、逆に総選挙で政権を明け渡すようなことだけは避けたいと考えている。“日本売り”が始まり、株式や円、国債をも売られることになるはずだ。
日本のワクチン接種が遅れた原因は日本が固有に抱えるさまざまな問題点を浮き彫りにした。政治家や行政だけではなく、国民自身も省みなければならない。
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