国際協力の新潮流と日本が行うべき「質の援助」 前アジア開発銀行総裁の中尾武彦氏に訊く
宮城:日本の援助をめぐるアメリカとの関係については、いかがですか。
中尾:アメリカが安全保障で膨大な金を使ったり、軍事的に貢献していることに対して、日本は貿易黒字をどんどん貯めこんでいる。強くなりすぎている日本の国力をどこかでうまく国際的な貢献に使わないと、アメリカの日本に対する反感が強くなるという考慮が援助の規模拡大の背景にありました。1980年代にはもう明らかでしたが、ニクソンショックで変動相場制に移行した1970年代くらいからそうだったと思います。
そういったことも含めて日本の援助についてまとめると、1つには賠償から続くアジアへの贖罪と純粋に発展を手助けしたいという気持ち。それから重要な市場としてのアジア、アジアへの直接投資から生産ネットワークを作っていく前提となる基盤整備。いわば経産省的な発想ですね。財務省的に言えば、通貨の安定とか、国際金融の安定のためには資金を還流させていかなければならない。
外務省的に言えば、というか日本全体として言えば、二国間の友好的な関係に加え、やはり援助を通じて国際社会において名誉ある地位を占めたいという気持ち、それに対米配慮ですね。日本の政権トップにとって、安全保障における同盟国アメリカとの関係は絶対的です。対米配慮の意識は、為替市場で基軸通貨ドルと円の関係を見ている財務省にも強かったと思います。そしてこれらの発想の前提となるのが日本の経済的強さということだったわけです。
国際協力に対する国民の理解
宮城:そのような日本の援助や国際協力ですが、国民の理解という点ではどうなのでしょうか。最近は中国台頭に圧迫される感じもあってか、過去の日本の対中ODAを批判的に見る動きもありますね。
中尾:ODAには、日本国内にもいろいろ問題があるのに、外国にどうして多額の支援をするのか、無駄使いはないのか、効果はどうなのかといった批判が昔も今もあるのは確かです。もっとも、ODA開始の頃の中国について言えば、非常に貧しく、遅れていて、閉鎖的な共産主義の国が日本の隣にいるより、より自由になって改革開放する国のほうがいいじゃないか、それを助けようというのが国民的理解だったと思います。中国や韓国の国力がここまで強くなると思っていた人も少なかったと思います。
一方でODAに対して、日本では皆、結構、鷹揚というか寛大だと思えるところもあります。日本は有償資金協力のうち、これまでに、国際的な重債務貧困国(HIPC)救済のイニシアティブなどに基づきアフリカの最貧国やミャンマーを中心に元本だけで1兆円近く債権放棄しています。
例えば、国内で銀行や証券会社に1兆円の税金を投入するとなったら大騒ぎになりますよね。しかし、援助や国際協力ではマスコミも国会も国民も比較的おおらかです。アメリカなどに比べても、日本は国際協力という言葉や、国際機関が行うことに関しては結構弱い、換言すれば前向きで、それはそれでよいことなのですが、一方で元は国民の税金、貯金だという意識、規律も大事です。
国民の意識という点では、近頃、若い世代が内向きだという話がありますが、開発経済学とか国際協力学を勉強する人たちは昔と比べれば増えていて、とくに優秀な女性が多い印象があります。いま、JICAなどで重要な仕事をしている若い人たちは非常に開明的で、純粋に途上国の開発を助けたいという意識を持っていると思うんです。そんな若い人たちには本当に勇気づけられます。
だけれども、かつてと比べて日本の財政が厳しくなっていることは間違いない。それに何と言ってもアジアの国々が発展して、援助の対象からは卒業していくわけですよね。ですから援助の額が減っていくのはある意味当然で、そういう国内外の状況からODAの存在感というものが相対化しているわけです。以前は、世界一のODA大国であることが日本の国際社会における1つの正当性というか、貢献の象徴だったわけです。
それに対して今はイギリスにも抜かれていますが、別にそこで競おうとは思っていない。逆に平和維持など安全保障の面でもっと国際的に貢献し、アメリカとの同盟関係も強化していかなければということなのでしょう。