「DV=身体的暴力」と思う人は絶対知るべき事実 言葉や経済的制裁、脅し、監視などの行為も該当

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近年、心と身体という分割をゆるがす問題が、カウンセリングの現場で増えている。例えばリストカット、オーバードーズ(処方薬の大量摂取)、摂食障害などであり、さらにはDVや児童虐待などの家族内暴力である。

家族外に目を向ければ、性犯罪の被害者、事故によるトラウマ、地震や戦争の被害といった問題がある。これらを暴力という視点から次の4つに分類してみよう。

①自分への暴力
②家族内暴力(私的領域)
③市民社会における暴力
④国家による暴力

である。①はリストカットなどの自傷行為を表すが、暴力の対象は自分であり、加害者と被害者が一致している。②③にはそれぞれ加害者と被害者が同定されるが、④は政治的判断によって加害国・被害国の同定は大きく変動することになる。

このように、暴力という問題が対象になるに伴って、カウンセリングの現場でも身体性を対象とせざるをえなくなっており、精神科医療との緊密な連携が求められている。また、従来は個人的で心理的な葛藤とされてきたものが、現実の人間関係の加害・被害へと、つまり内的対象が現実の対象へと還流されつつある。

内的な「こころ」の問題とされてきたものを、再び現実の関係の舞台に上らせること。私はこれを「関係還元的」と呼んでおり、そのようにクライエントの問題を扱っていくことが現実的かつ有効な援助だと考えている。

市民社会は、国家と私的領域である家族にはさまれている。そこでは暴力は犯罪化されており、一歩家を出て、通勤途上で他者から殴られたなら、それは暴行であり、警察に通報して取り締まりの対象とすることができる。殴った側は加害者と呼ばれ、殴られた側は被害者と呼ばれる。このように定義することに、それほど異論はないだろう。

市民社会は、市民を守るために市民=被害者の立場に立つ。加害者は処罰され、司法・警察などの公権力が行使される。暴力という定義そのものが、被害者の立場に立つことを含意している。それを再確認しておこう。

「法は家庭に入らず」の精神は今も引き継がれている

④の国家間の紛争が暴力となかなか呼ばれないのは、被害国と同定する基準そのものが政治的であるからだ。9.11のテロ、イラク戦争をみてもそれは明らかだろう。政治の力学が色濃く反映されることで、素朴な「あらゆる戦闘行為は暴力であり、犯罪である」というスローガンは時に力を失ってしまう。現在でも国家の暴力は容認されたままである。

一方、「法は家庭に入らず」という明治民法(明治31年施行)の精神は、戦後の民法にそのまま引き継がれている。家族は愛情によって結ばれるのであり、そこに法的規制など必要ないという観点に立脚しているからだ。

戦後民主主義においても、同法の精神は国家権力から個人を守る砦として家族を位置づけることに貢献してきた。後述するDV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)、児童虐待防止法(児童虐待の防止等に関する法律)が国家権力の家族への介入を許すものとして、一部の人たちから反発を招いたのもその理由からである。

法的規制が及ばないということは、言い換えれば家族は無法地帯ということだ。子どもを柿の木に縛って吊るすのも、可愛いからこそのしつけであり、風呂場の水に頭を突っ込むのも体罰となる。夫が妻を蹴るのは犬も食わない夫婦げんかの延長であり、平手打ちは妻をしつける行為だった。

親や夫はやむを得ず「手を上げる」のであり、スパルタ教育や亭主関白は美名とされ、彼らは加害者などと呼ばれることはなかった。ちゃぶ台返しは笑いとともに容認され、殴られるのは妻が生意気だからとされたのだ。家族を束ねる家長の立場に立てば、家族の中に「暴力」など、はじめから存在しない。

次ページしつけ、体罰、夫婦げんかなどはいつから暴力に?
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