「DV=身体的暴力」と思う人は絶対知るべき事実 言葉や経済的制裁、脅し、監視などの行為も該当

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親から子へ、夫から妻への「しつけ」「体罰」「夫婦げんか」などは、いつから暴力と名づけられ、定義されるようになったのだろう。バブル崩壊直後の1990年に、大阪で小児科医を中心として子どもの虐待防止団体が生まれた。翌年には、東京でアルコール依存症の地域精神保健のネットワークを中心に、精神科医や弁護士、保健師を中心に同様の団体が生まれた。

当時、救急病院に夜間搬送された幼児が頭蓋骨陥没で意識不明の場合、同伴した親の「子どもの不注意で」という言葉を信じるか、親の虐待によるものと判断するかを医師は迫られた。アルコール依存症の夫の暴力から逃げた母親が、手が2本しかないという理由で3人兄弟の第1子を父のもとに置き去りにした場合、その子をどうするかの判断が保健師らに迫られた。

援助者たちは、そのような経験を経て、親子の利害が相反していること、親が子どもを殺す可能性があり、無力な子どもを親から守らなければ生命に危機が生じる、と判断するようになったのである。そのために「虐待」という言葉、定義が必要とされた。

初めて自分を「被害者」と同定できるようになった

1980年代末には、東京で夫の暴力から逃げてくる女性たちをかくまうシェルターが生まれた。警察に通報しても単なる夫婦げんかとしか扱われなかったために、彼女たちは身の安全を確保するためにシェルターに逃げたのだ。1995年に北京で開催された第4回世界女性会議において、親密な関係にある男性から女性への暴力の根絶が宣言され、参加者たちによってそれが「ドメスティック・バイオレンス」と名づけられた。これ以降、夫から妻への暴力はDVと呼ばれるようになったのである。

DV、児童虐待、高齢者虐待などという言葉は、そう呼ばなければ安全という基本的人権が守られないと判断した人たち、およびその援助者たちの必要性によってつくられ、それによって暴力は構築されたのだ。暴力と名づけ、定義することで、それまで「自分が悪いからだ」と耐えて、ひたすら我慢してきた人たちが、初めて自分を「被害者」と同定し、暴力を行使する人を「加害者」と呼ぶことができるようになったのである。

2000年の児童虐待防止法、2001年のDV防止法は、法律によって防止すべき暴力が家族内に生起していると国家が認定したことを意味する。無法地帯であった家族に法律が適用されるようになったのは、欧米に遅れること約20年である。しかし、「加害者」を犯罪者扱いするまでに至ってはいない。その点で、法は「中途半端に」家庭に入っているにすぎない。

プライバシーという壁を突破して虐待する親に介入する権限は、児童相談所に限定的に認められているだけだ。DVも、被害者が夫を告訴しなければ夫は逮捕されないのが現状である。子どもの虐待死が連日のように報道されるたび、「なぜ救えなかったのか」と声高な意見がテレビからは流れるが、再検討する必要性を感じるのは私だけではないだろう。

暴力とは他者からの望まぬ侵入を表すが、そう定義することで、加害者と被害者という相反・対立する関係が生まれる。家族内暴力の多くは習慣的に繰り返され、加害者・被害者の関係は相互的ではなく、非対称的である。これが「けんか」と呼ばない理由である。

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