とはいえ、100%集団主義者も、100%個人主義者も実は存在しません。同じ人間でも、時と場所と相対する人間によって、その行動を無意識に使い分けているはずです。
見知っている仲間同士の中では礼儀正しく振舞っていても、見知らぬ人に対して横柄な態度をとる人もいます。「旅の恥はかき捨て」といわれるように、昔から日本人は、そういう多面性を内包していたのです。
「孤人化する社会」は到来しない
同様に、冒頭で述べたベックのいう「個人化する社会」は間違いなく到来しますが、それがすなわち「利己的な個人主義者による無秩序な「孤人化する社会」にはなりません。旧来の共同体、たとえば家族が消滅することもないのでご安心ください。
ただし、家族が家族しか頼れないような「孤立家族」になるのではなく、仮に顔見知りではなくても、誰かの行動が誰かを支えるような、直接的な結びつきの代替としての「拡張家族」という形態が生成されていくべきと考えます。
それこそが「個人化する社会」における新たな共同体のかたち「接続するコミュニティ」なのだと思います。社会が個人化しても、結局、人は人とつながります。
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