これは、拙著『結婚滅亡』でもご紹介した事例ですが、お昼ご飯に、全員に無償でお弁当が支給されたとしましょう。弁当は全部で10個あります。それを10人で分け合います。
しかし、10個のうち1個だけ、特上のウナギ弁当(値段にしたら5000円相当・別にウナギ弁当でなくてもいいのですが、ここでは誰もが食べたいと思うものという意味で使っています)があって、残り9個は普通のノリ弁当(500円相当)でした。
さあ、あなたならどっちを選びますか?
これは前提条件の違いで結果が大きく変わります。あなたに最初の選択権が与えられ、しかも、あなたが何を選んだか、他の人にはわからない条件下だと、50%がうなぎ弁当を選びました。しかし、ほかの全員が見ている前で選択しないといけない状況だとします。そうすると結果は、ほぼ100%がノリ弁当を選びます。
多分、あなたも同じ結果ではなかったでしょうか。誰も見ていなければ、半数は最も自分にメリットのある選択をするのに、人の目があるとそうしない。理由は明快です。みんなが見ている前でうなぎを選んでしまうと、後でみんなからヒンシュクや妬みを買うというリスクがあるからです。立場を変えて、他の誰かがウナギ弁当を選択したとすれば自分がそう思うのでしょう。
自分の行動がどううつるか気になる日本人
前出の4カ国比較調査でも「友達が私をどう思っているか気になる」という質問がありました。4カ国中男女計だとアメリカが最も低く、逆に日本人が最も高くなりました。
要するに、日本人は、みんなと一緒かどうかが重要なのではなく、自分の行動が他人の目にどううつるかを気にするわけです。他人の目とは評価であり、自分の損得に直結します。
集団行動・同調行動の正体とは、「みんなと一緒に行動したい」というより「自分ひとりだけ異質な存在とみなされると、自分にとって得にならない」という考えに基づくものなのです。
そしてそれは、1人でも「寂しくない」未婚者が増える背景という記事で解説した、かつての共同体のカタチ「所属するコミュニティ」の世界においては確かに重要な処世術でもありました。「集団の中に所属している自分」という前提が安心感の土台だったため、集団から排除される行為は極力控えないといけなかったのです。
「日本人は半分が自分自身は個人主義だと思っているのに、日本人全体は集団主義だと思っている」というカラクリはここにあります。結果として集団行動・同調行動をしていることと、本人が個人行動が好きであるというこことは別なのです。
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