ステレオタイプで気を付けたいのが修飾語を付けるときです。例えば「きれいな服を着たメキシコの子供」というと、この文章を書いた人に、その集団の大多数が日頃きれいな服を着ていない=貧しい、という思い込みがあることになります。
これはポジティブな言い方であっても同様です。「女性は男性より奥ゆかしい」「アジア系の学生はこのテストの成績がいい」というのはポジティブかもしれませんが、その集団をあまりに単純化しすぎているといえます。
日本語においても、このステレオタイプを排除する動きは少しずつみられているようです。例えば「看護婦さん」という言葉は実際には本来男女に関係ない職業であるにもかかわらず「看護は女性の仕事」というバイアスがそこにありました。現在では「看護師」というように変わっていますね。
接する機会のないコミュニティへの「気遣い」
結局のところ、こうした「インクルージョン」な表現は、表現する側が、気が付くか気が付かないかの問題です。要は普段自分があまり接する機会のないコミュニティに対し想像力が働いているかどうかだと思います。
私の勤めるレノボの場合、例えば私は日本にいるカナダ人、その上司はインドにいるインド人、その上司はアメリカにいるアメリカ人、さらにその上はイタリアにいるイタリア人というように、たんに国籍が違うだけでなく、生活基盤となる社会も異なります。
これは例えばシリコンバレー企業のようにさまざまな人種がいても、全員がアメリカの西海岸に生活環境がある企業ともちょっと違います。レノボの場合こうした特殊なインターナショナルなバックグラウンドを持つチームなので、インクルージョンについて気が付く機会に恵まれていたのだと思います。
では、拠点が日本にあって、大半の社員が日本国籍で日本語を母語としている企業では、どうすればよいでしょうか。間違いなくインクルージョンは推進すべきですが、レノボのような組織の多様性は簡単には実現しません。
幸い、最近はインターネットという便利なものがありまして、必要とされる情報が手に入ります。この原稿で挙げたいくつかの例はアメリカ言語学会の記したインクルージョンについてのガイドラインから引用させてもらいました。ご興味があれば読んでみてください。
テクノロジーは、やはり世の中をいい方向に進める力になるものですね。
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