全知全能の神を「老人として描く」ことの違和感 なぜ我々の知る神は「人間」に似ているのか?

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加藤:人は目の前にないもの、非現実のもの、それも見たこともないようなもの、虚構を脳裏に浮かべることができる。それはイメージでもあり、シンボルを成立させる力でもある。それが人間の特質ですよね。それは、1700年代後半からのドイツの観念論哲学やロマン派でも考えられていて、イマヌエル・カント(1724〜1804/哲学者)は、その力を構想力(アインビルドゥングスクラフトEinbildungskraft)と呼びます。

ビルト(Bild)は「像、イメージ」で、それを脳裏に浮かべることができる想像力です。創造力とも書くこともあるし、私は幻創力と捉えています。幻をも像として支えうる不思議な力。

:うん。さらにいえば、代議制・代表制のことを、リプレゼンタティブというでしょ。これも、人民の意見を代表するからリプレゼント。存在している人民を、もう1回繰り返しているからリプレゼントなわけでね。これもなかなかわかりにくい。まとめて言うと、リプレゼントは、代表という意味でも使うし、象徴という意味でも使うし、頭の中で思い浮かべるという意味でも使う。

心理学で表象というときは、単純にあるものを頭の中に思い浮かべるという意味に使う。そのときには、プレゼントしていない幽霊なんかでも頭の中に浮かべれば、とりあえずリプレゼントというんだね。哲学では幽霊の場合はリプレゼントでは適切ではないという人もいる。いずれにしても、言葉が非常にわかりにくいね。とくに、日本の場合、哲学なんかの場合は、それを外国語から翻訳してるから、よけいにわかりにくい。

ハラリの認知革命も、むしろ、虚構を作る能力の出現、フィクションを作る能力の出現と考えたほうがわかりやすい。これを認知というから、非常におかしくなる。では虚構革命といえばわかりやすいかというと、別の意味でわかりにくい。

それはさておき、ともかくこうした「虚構の能力」が現れてから、人間の歴史は発達し、文明・文化が始まり、さまざまな問題が起きるようになったというのが、ハラリの説。7万年前から3万年前にかけて、人類は船、ランプを発明した。芸術と呼んで差し支えない最初の品々も、この時期にさかのぼる。これら前例のないものはサピエンスの認知能力(虚構を作る能力)から起こった革命の産物であると。それがネアンデルタール人など、先行する人類を滅ぼした。この7万年前から始まった思考と意思疎通を、認知革命と呼ぶとハラリは言う。

加藤:サピエンスに備わっていた、言葉という独特の器官が発動した、と。

「虚構の伝達」はサピエンスだけに許された能力

:確かに、言語は、話し言葉なら空気の振動にすぎないし、書き言葉なら線のかたまりにすぎず、表されたものそのものではないから、虚構といえば虚構、フィクションといえばフィクションです。ハラリが言っているのは、私たちの言語が持つ真に比類ない特徴は、人間やライオンについての現実の情報を伝達する能力ではなくて、むしろ、それを、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力であるということです。「あっちにライオンがいるよ」という情報を伝達する能力ではなく、存在しないもの=虚構を伝達するのが認知革命であると。

伝説や神話、神々、宗教、こうしたものは認知革命に伴ってはじめて現れた。それまでも、「気をつけろ、ライオンだ」と伝える動物もいた。狩りに行くと、犬が「向こうにライオンがいるぞ」とワンワンワンと主人に報告する。でも、ホモサピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンは、わが部族の守護神だ」という虚構を伝える能力を獲得した。虚構、すなわち、架空の事象・人物について語る能力が、サピエンスの言語の特徴であると、ハラリは言っている。

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