プロ野球「全く儲けない異常体質」が許された訳 「ジャイアンツ頼み」のビジネスモデルは限界だ
巨人戦の放映権は「1試合1億円超」。昭和から平成時代の前半、つまり1990年代までのプロ野球は、この「巨人中心」のビジネスモデルが支えてきたといってもいい。
セ・リーグが6球団制となった1953年(昭和28年)から2004年まで、セの5球団は、巨人との主催ゲームを年13〜14試合組むことができた。この収入が、球団経営の屋台骨を支えていた。しかも、巨人戦の集客は、他のカードよりも増える。巨人戦のチケットは、他球団との対戦時よりも1〜2割高い“巨人戦価格”で販売しても、十分にさばけたという。
巨人がいるから、やっていける。
巨人中心、放映権頼みの球団経営という仕組みも、それが「日本のプロ野球」という、雑な、荒っぽいくくりでまとめられ、そういうものだと思われてきたのだ。
もはや「どんぶり勘定の球団」は許されない
球団名をNHKのニュースが連呼してくれる。翌朝のスポーツ紙には、大きな見出しで、球団名が掲載されている。その宣伝効果は計り知れない。赤字額以上のものがある。それが、プロ野球という世界での常識でもあった。
しかし、21世紀のビジネス界で、そんな“曖昧な定義”は通用しない。ビジネスとしての新たな展開も、何の利益も生まない投資は「ムダ金」に過ぎない。
コンプライアンスが厳しくなり、資金の使途を透明化することが求められる。株主からも、球団が出す「赤字の理由」を徹底的に問い質される。それに対し、子会社である球団が親会社からの穴埋めだけを期待する「どんぶり勘定」という“旧態”のままでは、もはや現代のビジネス界では通用しないのだ。
自分たちで稼ぐ。稼いで投資して、そのリターンでビジネスを拡大していく。その当たり前の循環が、野球界にも求められる時代になった。かつての「興行」から「スポーツビジネス」への転換が必要とされているのだ。プロ野球球団は、日本で「12」の認められた大企業しか持つことができない。
つまり、その“希少なコンテンツ”を生かすことで、独自のビジネスを大きく展開することができるはずなのだ。しかし、球界再編騒動以前のプロ野球界には、その発想が実に乏しかった。いや、全くなかったといっても過言ではないだろう。
プロ野球を「ビジネス」として確立させていく。それが時代の要請でもあり、そうしなければ、プロ野球球団とはいえ、生き残っていけない時代に突入したのだ。その「転換期」は、2005年(平成17年)だった。
球界再編騒動の末、2リーグ・12球団制は維持されることになった。オリックスと近鉄は球団合併、ダイエーがソフトバンクに買収され、楽天が新規参入を果たした。一見、再編されたかのように見えてしまうが、その枠組みは結局、何1つ変わってはいなかったのだ。
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