象徴天皇制をどう考えるか
山折:もうひとつ具体例を出します。今、自民党政権は憲法改正を目指していますが、メディアの報道は、もっぱら集団的自衛権や憲法9条に集中しています。それはどちらも非常に重要なテーマだと思いますが、どこの新聞も金太郎あめみたいに、この2つの問題ばかりを扱っています。
ただ、私が、ひょっとするとこの2つの問題より重要かもしれないと思っているのは、天皇の元首化の問題です。これは大変なことです。場合によっては、天皇制のあり方を明治の時代にまで戻すことになりますから。にもかかわらず、この問題について、注意を喚起したり、批判したりする報道がまったく見られません。
そこで私は、あるメディアに次のようなことを書きました。
日本の象徴天皇制における天皇の位置を考えるためには、日本の歴史だけでなく、イギリスの政治制度をよく理解しないといけない。なぜなら、近代憲法の源流にイギリス憲法があり、日本の議会制民主主義はイギリスから学習してきた部分が大きいからです。つまり、イギリスの君主制における君主の権限がどういうものであるか、それと日本の象徴天皇の権限がどういうものかを比較してみる必要があるわけです。
岩波文庫から、『世界憲法集』という本が出版されていますが、この本は日本の憲法学の結晶と考えていいと思います。しかし、その本には、フランス憲法やアメリカ憲法や日本憲法は載っていても、イギリス憲法は載っていません。本の序文で、「イギリス憲法は不文憲法(憲法として法典化されていない憲法)だから掲載できない」と弁解しているわけです。
それならば、慣習法としてのイギリスの王権にかかわるさまざまな条項のうち、日本の憲法と対応するところを抜き出して比較可能にするのが、憲法学者の仕事のはずです。そうした批判を書いたのですが、今のところ、識者からの反応はありません。私はこの問題を以前から指摘していますが、これは戦後の日本の東大を中心とする憲法学の怠慢以外の何物でもないのではないかと思っています。あるいはそこになにか政治的な意図でもあるのか、それを知りたい。
滝鼻:メディアも政治家も見て見ぬふりをしているんでしょうね。
山折:おそらくそうだろうと思います。象徴天皇制は実によく作られています。イギリスの君主制のあり方よりも、はるかにこちらのほうが優れていて、それが日本の国柄を支えているとも思っています。ところが、集団的自衛権や憲法9条の問題ばかりを議論して、根本的な話をせずに見て見ぬふりをしている。これは危ない状況です。
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