幕府の瓦解をあらかじめ予見していた渋沢。フランスでまず行っていたのが、資産運用だというから、さすがである。幕府が窮地に陥った場合、フランスの滞在費がいつまで送金されるかわからない、と踏んでいたのだ。
渋沢は、フランス人のアドバイザーをつけて、西欧の金融制度を学んだ。現地では倹約に励み、2万両ばかりの余剰金を用意。鳥羽伏見で幕府が敗れる1カ月前の2月には、フランスの公債証書と鉄道債権を買っている。
遠くを見渡しながら、手元の問題を合理的に解決していく。そんな渋沢は、この経験からも大きな気づきを得ている。
「経済界の観察中に、2、3の要件が大いに違うことを認識した。その1つは紙幣の流通である。その紙幣は希望すればいつでも生金に引き換えられるのである」
金・銀・小判と銭のみが流通する日本とは大きく異なる、西欧の紙幣制度。そして、その紙幣を集めて大規模な営利事業を営む「銀行」にこそ、国家繁栄のヒントがある――。そんな発見もまた、渋沢の人生を大きく変えることになった。
時代が丸ごと変わって途方に暮れた
「ともかくも帰国して、幕府の衰亡のありさまをも目撃し、かつ自分の方向性をも定めよう」
そう決意した渋沢は9月にパリを出港。12月にようやく帰国を果たしている。聞けば、喜作は函館にいるという。何でも榎本武明、大烏圭介らとともに、明治新政府とあらがうつもりらしい。
なるほど、幕臣としての使命を果たす。その生き方は美しいかもしれない。だが、渋沢は冷静に考えて、無駄死になるとしか思えなかった。かつて無謀な攘夷計画に走ろうとした自分と同じである。
「力の足りない相撲取りが土俵際で相手と組んで、その状態を維持しようとするのと同じで、決して勝利を得ることはできない」
喜作の選択に失望しながら、渋沢も心細い思いに駆られていた。新政府との無謀な戦いに挑む気は起きないが、仕えていた幕府はすでに崩壊した。先行きが見えないことには慣れているが、時代が丸ごと変わったのは初めてのことである。帰国したのはいいが、渋沢は途方に暮れるのみだった。
「いったいどのように生きていくかという点については、ずいぶん行き詰ってしまった。別に他人より優れた才能や技術があるわけでもない」
そんなとき、渋沢を歴史の表舞台に引っ張り出す人物が現れた。 総理大臣を2度も務めて、「円」を創始することになる、大隈重信である。
(敬称略、第6回につづく)
【参考文献】
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
渋沢栄一『青淵論叢道徳経済合一説』(講談社学術文庫)
幸田露伴『渋沢栄一伝』(岩波文庫)
木村昌人『渋沢栄一――日本のインフラを創った民間経済の巨人』(ちくま新書)
橘木俊詔『渋沢栄一』(平凡社新書)
岩井善弘、齊藤聡『先人たちに学ぶマネジメント』(ミネルヴァ書房)
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