幕府崩壊を予見した渋沢栄一がとった仰天行動 実業家としての土壌を作ったヨーロッパの経験

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「国民全体が平等で、役人だから威張るということがない。これが本当であるべきであるのに、日本はそうではない。日本のこのありさまは改善しなければならない。この風習だけは日本に移したいものである」

また、ヨーロッパ周遊で、ベルギーの国王との謁見したときには、国王が自ら「貴国は鉄が少ないようだが、わが国の鉄を使うように」と売り込んできたことにも驚いた。

西欧では、日本のように商売が下に見られることも、官僚が偉そうにふるまうこともない。そんな土壌の違いによって、文明の差がつき、経済力で水をあけられることになった。渋沢は、そのことを思い知らされたのだ。

大政奉還に動じなかった渋沢

ある日、衝撃的なニュースが、パリにいる渋沢たちにもたらされた。

「日本の将軍が政権を返上した――」

慶喜の大政奉還である。フランスの新聞で報じられたが、記事を読んだ日本人はもちろん、フランス人士官までもが「うそだろう」と、報道をデマ扱いしていたという。それも無理もない。まさに驚天動地の内容で、誰も想像していない展開だった。

そんななか、パリではおそらく唯一、こうなると予想していたのが、渋沢である。パリに経つ前に、渋沢が喜作に話していたとおりの展開となった。「報道はおそらく真実だろう」と渋沢は周囲にそう説いて回ったが、それでもなかなか信じてもらえなかったようだ。

本国から正式に大政奉還についての連絡が届いたのは、慶応4(1868)年1月のこと。幕府も、パリに知らせるどころではなかったのだろう。慶応3(1867)年10月に新聞で報じられてから、約3カ月の月日が流れていた。

さらに、3月には、鳥羽伏見の戦いに敗れて、慶喜が水戸へ隠居したことも知らされる。周囲が慌てふためくなかで、一人落ち着いていた渋沢も、さすがにこれほどまでの幕府の体たらくは予想外だったようだ。のちにこう記している。

「実は自分も、1月の下鳥羽での戦争は予想外であり、幕府が戦術に対してあまりにも暗く、かつそのやり方の下手糞なことに大いに憤りました」

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