「MBA取得」が成功の近道だと考える人の論理 大学院進学は「ばくちのようなもの」なのか?

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職業上なりの大きな目標があり、それを達成するにあたり今現時点での自分の経験やスキルでは足りない何かを補完するための手段であるべき、ということです。

つまり目的が明確であり、学びたいことや成し遂げたいことが前提であるべき、ということです。

書かれているようなキャリアの方たちも、大学院に行ったから経営者などになれたわけではなく、経営者になるために自分に足りないものは何か、そしてその補完をするべく何をするべきか、という選択の末に大学院なりがあった、ということです。

あくまでも大学院での勉強は目的を達成するための手段なのです。その逆ではありませんし、大学院への進学が目的というわけでは決してありません。

MBAを含む大学院などに行った人が皆活躍をしているというわけではないというのはご存じのとおりです。大学院に行くという行為のみで職業上の価値が高まったり、いきなりスーパーマンに変身できるわけでは決してありません。

むしろ活躍している、つまり学費やかけた時間に対する明確なリターンが出ているほうが少数派であると認識するべきです。

大学院に行く行為そのものが意味をなさないワケ

では、同じ時期に同じ勉強をした結果として、その少数とその他大勢の違いはどこから来るのでしょうか?

おそらくそれは明確な目的意識があったか否かではないでしょうか。大学院に行くことで人生を切り開くことを祈るだけなのか、それとも冷静な分析の後に明確な目的意識を持って大学院への進学を決め、覚悟を持って行ったかの違いとも言えます。

後者のケースでは今の延長で仕事をし続けることによる職業上の成長カーブと、大学院へ進学した場合の成長カーブのどちらがより高い成長となりうるかを考え、より成長カーブが高まるのは大学院への進学をするほうだという結論のもとに進学を決意するものです。

逆に言うと、明確なリターンが見込めない限りは大学院に行くという行為は意味をなしえません。

なぜならば、大学院への進学は社会人としての勉強ですから、先ほど述べたとおり職業上のリターンが見込めたり、または人生をより豊かにする、という目的があってしかるべきだからです。

学生と違い、社会人学習においては、時間的な制約があったり、そもそも論として万人に当てはまる成功の方程式があるわけではありません。したがって、同じ時間を費やすのであればより高いリターンを見込める行為を選択するべきものですし、繰り返しですが、目的が大切なのです。

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