父の市郎右衛門は、商才があり、武芸にも通じていただけではなく、『四書五経』を十分に読めるほどの教養と、俳諧も理解するという風流さも兼ねそろえていた。そんな父に中国古典の手ほどきを受けた渋沢。同時に、近所に住む従兄弟の尾高惇忠のもとに通い、日本史や中国古典を学びながら、教養を高めていく。
「昼夜、読書三昧では困る。家業にも精を出してくれ」
読書に傾倒する一方の渋沢に、そうブレーキをかけたのは、ほかならぬ父である。読書ぐらい自由にさせてあげてもいい気がするが、渋沢はあまりに夢中になりすぎた。
本を読みながら外を歩いて溝に落ち、服がぐちゃぐちゃになったこともある。それも運悪く、正月のあいさつ周りのときだったため、晴れ着が泥まみれになったという。両親がとがめるのも無理からぬことだった。
それから渋沢は素直に心を入れ替え、父が注力していた藍玉の製造と販売に取り組み始める。14歳のときには、不在の父に代わって初めて藍の葉の買い付けを任されている。
「ただこれを知ったばかりでは、興味がない。好むようになりさえすれば、道に向かって進む」。そんな言葉を好んだ渋沢。家業で生きた知識を実践したいと考えたのかもしれない。
藍玉の製造者をランク付けして競争心をあおる
実際に渋沢は、藍玉の販売で新しい試みをしている。弟と一緒に、各製造者による藍玉の品質を調査。藍玉の製造者たちを招いてランキングを発表すると、その結果で席順を決めて、ごちそうを振る舞ったのである。
そうして製造者たちの競争心をあおることで、藍玉の品質は向上していく。どうすれば人はやる気を出すのか。渋沢はすでに人間の心の動きに着目していた。また、工夫一つで商売の結果が大きく変わることも、実感したのではないだろうか。
ちなみにこの藍玉の事業は、村全体を豊かにするために、父が農家に藍の葉の栽培を勧めて始めたものだ。「新事業で地域の経済を豊かにする」、そんな渋沢の発想と商才の豊かさは、父から受け継がれたのであろう。
合理的で、かつ、人間の心の動きもよく理解した渋沢。経営者として成功するための、もう一つ、大事な素質も兼ねそろえていた。それは「反骨精神」である。
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