織田信長も危機一髪「戦国の忍」の凄すぎる実力

敵陣へ大胆に潜入し、大損害を与えることも

これに気づいたのが、織田家臣の横井伊織時泰であった。横井は忍び込んだ敵と渡り合い、これを追い払ったという。敵が1人であったのか、それとも複数であったのか、またこれと渡り合ったのが横井1人であったかなど、詳細は残念ながら、明らかではない。

ただ、岐阜城の夜の在番人数が少なかったらしいことは、信長自身が横井への感状において「当番之儀無人候共、可出精事専一候」と述べていることからみて、間違いなかろう。

信長は、遠江出陣を来る14日に決定したと横井に知らせ、岐阜の番をいっそう懸命に務めるよう督励している。そして、岐阜城に忍びを潜入させた敵とは、武田勝頼とみて間違いなかろう。

武田方は、家康支援の準備に忙殺される織田信長を撹乱すべく、岐阜城に忍びを放ったと考えられる。横井が気づかなければ、岐阜城にどのような災厄があったか予断を許さぬ状況だったのは間違いないだろう。

商人に化けて城に火をつけた

筆を九州に転じよう。天正11年3月、筑前国岩屋城(福岡県太宰府市観世音寺)で起こった事件を紹介したい。この事件は、戦国の生き残りであった城戸清種(立花道雪・宗茂父子の旧臣)が、父城戸豊前守知正の証言と、自らの見聞をもとに元和元(1615)年にまとめた『豊前覚書』に記録されているものだ。

天正6年、日向国耳川合戦で島津義久に大友宗麟が大敗を喫すると、大友氏の退潮は必至とみて見切りをつけ、島津に帰属する国衆が相次いだ。豊前国でも、筑紫広門や秋月種実らが島津氏に呼応し、大友方を圧迫するようになる。

これを懸命に防いでいたのが、大友重臣高橋紹運であり、彼は岩屋城と宝満城を足場に頑強に抵抗していた。筑紫・秋月氏にとって、とりわけ岩屋城は何としても無力化するか、奪取することが必要な城といえた。

そこで筑紫広門は、天正11年3月、岩屋城に策略を仕掛けた。それは、3月7日の夜が、庚申待の日に当たっており、それを利用して岩屋城に放火するというものだった。

筑紫が考えた策略とは、工作員を、茶売りの商人に変装させ、岩屋城に潜入させるというものだった。その日は、夜を徹して、祭事と宴席を行うのが習わしであった。

大友と島津の最前線である岩屋城に、茶売りの商人に化けた島津方の筑紫氏の工作員がすんなり城内に入ることができたのも、庚申待という祭日ならば、商人を迎え入れることも大目に見られていたからではなかろうか。

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