36歳で寝たきり妻の介護する男性が幸せなワケ 子どもが3歳と0歳のとき、妻が脳出血で倒れた

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帰宅当初、ミキサー食やおかゆゼリーを食べていた妻は、7月にはパウチに入った市販の食品を食べられるように。

退院100日目のお祝いには、車いすに座り、家族で食卓を囲んでお寿司を食べたところ、問題なくクリア。

11月には左手で箸を使えることが発覚し、12月にはほぼ何でも食べられるようになっていた。

「家族で食卓を囲むことは大事ですね。2歳の息子は初めてですが、娘は1年9カ月ぶりに母親と一緒のご飯で、とてもうれしそうでした。妻も、子どもたちの側で一緒に食べるほうが楽しいし、いい刺激になります。また1歩、家族の形を取り戻すことができました」

松林さんは朝、妻を起こし、おむつを替え、車いすに乗せて食卓へ。次に子どもたちを起こし、身支度をさせて、全員で朝食。近所のアパートで暮らす義母が来たら、松林さんは出勤。帰宅すると義母が帰り、子どもたちに夕飯を食べさせ、お風呂に入れ、寝かせている。

「本当は義母を早く山口へ帰してあげたいのですが、まだ下の子が小さいので悩んでいます。わが家の場合、実家は遠方ですが、両親が元気だったのが幸いでした。家族の支えや職場の理解、近所のママ友の支援がなかったら乗り越えられなかったと思います」

妻が倒れてからしばらくは、松林さん自身も不安な日々を過ごした。だが、サポートに来てくれている義母を暗い気持ちにさせたくなくて、不安を隠して励まし続けた。

「私にとっては子どもの存在が励みになっていましたが、娘の心のケアには気を配りました。『ママがいい〜!』と言って泣かれたときは、思いきり抱きしめて泣かせてあげました」

親のサポートがなかったら離職せざるをえなかった

妻は現在、笑うこともあり、話せないながらもコミュニケーションはとれる。

「妻の介護は嫌々ではありません。長い年月を一緒に過ごしてきたから、本人の好みや嫌なこともわかります。これまで共に過ごしてきた時間があるから、この先も変わらず一緒にいたいという気持ちがあります」

子どもたちは成長し、帰宅すると真っ先に母親に今日あった出来事を報告する。

松林さんは、妻のいるわが家に幸せをかみしめている。

だた、松林さんの場合は、夫婦の両親が健在かつ関係良好だったため、最も大変なときには自分の母親に家事を、妻の母親に妻の介護を頼むことができた。

親のサポートがまったくなかったら、松林さんは離職せざるをえなかったかもしれない。

松林さん家族のように、万が一のときに家族がサポートし合えることは、家族として理想的だ。しかし誰もができることではない。

今後は、高齢者の増加に伴い、介護をする家族も増える。松林さんの妻のように、突然寝たきりになるケースも珍しくない。

不安なく齢を重ねられる、安心して生きられる世の中にするためには、どうしたらよいのだろうか。

旦木 瑞穂 ライター・グラフィックデザイナー

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たんぎ みずほ / Mizuho Tangi

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する記事の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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