36歳で寝たきり妻の介護する男性が幸せなワケ 子どもが3歳と0歳のとき、妻が脳出血で倒れた

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松林さんは妻の両親に連絡しようとしたが、電話番号がわからない。妻の携帯電話を見ようにも、ロックがかかっている。とりあえず妻の誕生日を入力すると、ロックが解除できた。

すぐに東京に来てくれるよう頼むが、妻の実家は山口県。松林さんは自分の両親にも連絡し、父親が来てくれることになったが、実家は三重県だ。そのとき写真館の人から、「1日お子さんを預かりましょうか?」との申し出が。松林さんは感謝し、息子を見送った。

18時頃、東京に着いた父親には娘の保育園へ、20時過ぎに着いた義母には、息子を迎えに行ってもらった。

21時頃手術が終わると、「出血の原因はわからなかったが、怪しいと思われる部分を取り除いておいた」と医師は説明。

ICUに運ばれた妻の様子を見に行くと、頭を包帯で巻かれ、人工呼吸器をつけて横たわっている。松林さんは「頑張れ!」と心の中で呼びかけ、その日は家に帰った。

マンションのエレベーターに乗ると、見覚えのあるピンクの長靴が片方だけ落ちていた。おそらく、娘が泣いて暴れたため落としたが、父親も余裕がなく気づかなかったのだろう。

まもなく息子と義母も帰宅し、長い1日が終わった。

「子どもたちを寝かせた後、私も横になりましたが、なかなか眠れませんでした。夢か現実かわからなくなり、夢であってほしいと願いました。何か予兆はなかったか。それに気づいてあげられなかったのか。明日からどうしたらいいのか……。そんな絶望感に浸りながら、気づいたら朝でした」

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松林さんは、息子が1歳になる1月まで育児休暇を取得。娘の保育園で特別に息子も預かってもらえることになり、妻の世話に集中した。

2週間後、妻は意識を取り戻したが、左手以外は動かず、失語症と意識障害が残った。

5月にリハビリ病院へ移ったが、妻は再び脳出血を起こし、もとの病院へ。8月に再度リハビリ病院へ移ってからは、関節を曲げる訓練やストレッチ、装具を付けて立ち上がる、車いすに座るなどのリハビリを4カ月半ほど行った。

妻は約半年間、鼻から胃へ通したチューブで液体栄養を送り込むのみ。松林さんは、口から食べるリハビリが進んでいないことが気がかりだった。

妻は、失語症と意識障害のため、適切な意思表示をすることができない。唯一うなずくことはできたが、質問内容を理解してうなずいているわけではなく、何かを問いかけられると反射的にうなずいてしまう。

その日の意識レベルによっては、問いかけてもまったく反応がないこともあり、反応がないと、「今日は疲れているようなので」とリハビリを中断されてしまったり、「今日はお疲れですか?」と質問されると妻はうなずいてしまい、「それなら食べる訓練はやめておきましょう」となってしまう。

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